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ガンコとは何か?

さて

気を取り直して。

今週あった最後の授業は

哲学入門というやつで

まぁ、哲学の通史みたいなものをやっているんですけど(今年のテーマは政治哲学)

最後はドゥルーズの話をしました。

暑い中の授業、

しかし、ドゥルーズについてできるというだけですこし力が出ました。

で、

予定していなかったんだけど

なぜか、

頑固とはなにか?

という話になりました。

頑固って何でしょう?

そういえば小さい時、

父親から、

自分の考えをたやすく変えないということと、頑固とは違う

というような話を聞いた気がします。

小さい時はそれがどういうことなのか全然分かりませんでした。

いまはドゥルーズを読んで少し考えたお陰か

俺なりの答えがあります。

ドゥルーズは

「人間は滅多にものを考えたりしない」

と言います。

「人間は考えることなんで嫌いだ」、と。

でも、

「世界には我々に考えることを強いるものがある」。

「我々はそういったものに強制されて思考する…」。

よくドゥルージアンは

「世界には我々に考えることを強いるものがある」

というところだけを引くのですね。

カッコイイからです。

アムステルダムでもよく聞きましたよ。

でも、重要なのは

なぜ人間はものを考えたくないのか

ということです。

これはドゥルーズが経験論に影響を受けていることと関係があるでしょう。

経験論的に考えると、

人間は習慣がなければ生きていけない。

習慣とは作られるもの、創造されるものです。

新しい環境に出会ったら、人は、自分でなんとかしてその環境に適応するための習慣を作り上げねばならない。

つまり、

新しい環境に入ったら、

どうしたらよいかを考えなければならない。

たとえば、

引っ越しをしたら、引っ越し先で、

「どこで買い物をするか」「どういうルートで通学するか」「周囲の人間はどんな感じか」

とかいろいろ考えなければならない。

これはとても大変なことです。

ですから、

習慣を作り上げながら、

考えねばならない項目を減らしていく。

毎日毎日、あらゆるものに対してフレッシュな感覚をもって接していたのでは身が持たないからです。

考えることは猛烈な心的エネルギーを必要とするからです。

したがって、人間は、何も考える必要などない方に向かって動いていく。

習慣を形成して、考える必要を極力減らしていく。

こう考えると

人間は考えることなど嫌いで

強制されて初めて考えるというのは当然のことです。

たとえば引っ越しして

否応なく、仕方なく

いろいろ考えるんですよ。

さて、

頑固とは何か?

それは

そうやって苦労して作り上げた習慣を

なかなか手放せないということではないか

と俺はいま考えています。

おそらく頑固な人は

そうやって習慣を作り上げることが苦手で

新しい環境になかなか対応できないのでしょう。

だから、習慣を作り上げるまでにものすごく苦労する。

苦労して作り上げたものだから手放したくないし、あの苦労をもう一度繰り返したくない。

だから、

新しい考えとか、新しいやり方とか

そういったものを拒否する。

自分が(ものすごく苦労して)作り上げてきた習慣にそぐわないものは

斥ける。

こう考えると、

頑固さというのは

精神的な強さを想像させますけど、

全く逆なんですね。

新しい環境に対応するのが苦手な人が頑固になるのです。

頑固さにはある種の弱さが対応しているのです。

自分の考えをたやすくは変えないのは

その考えを十分に練り上げて、その原因や結果を熟慮しているからですね。

対して

頑固というのは

ある考えを作り上げるのに苦労したから、

もう苦労したくないという精神的態度であるわけです。

ドゥルーズを読んで、考えて、

30年来の疑問が解けたというか、

そんな感じがします。

そして、

こう考えると

人間が全く頑固でないというのは不可能です。

習慣を作り上げるのには

多かれ少なかれ苦労がありますから。

ここに言う頑固は

これはスピノザの言う

コナトゥスにも近い。

自分の存在に固執するということですから。

さて、

こうやって考えると

ドゥルーズの言う思考、考えるということが

なお一層不自然なものに思え、

それは

はたして

人に勧めるべきものであるのか

とすら思えてくる。

最終授業を終え、

そんなことを考えていました。

みなさん

よい夏休みを!