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フィンガレット、そして最後に大学の授業、人文系の研究の話

最近安冨歩先生の『生きるための経済学』(NHKbooks、2008年)という本を読んだ。

生きるための経済学―“選択の自由”からの脱却 (NHKブックス)/安冨 歩

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めちゃくちゃおもしろい!

安冨先生は俺が所属していた東大総合文化研究科で教鞭を執っていらしたそうである。

授業を受ければよかった…。

俺は大学院に入ってから留学ばかりしていたので、同研究科の先生方のことをあまりしらない…。

誰か教えてくれればよかったのに。

この前書いた、経済学における、完全競争市場等々の非現実的な想定の話を、安冨先生はものすごく分かりやすく、そして発展的に批判されている。

どれもおもしろいのだが、哲学を勉強するものとしては、そこで紹介されていたフィンガレットというアメリカの哲学者の話に引き込まれた。

安冨先生曰く、フィンガレットは日本では全然知られていない。

はい、すみません、俺も知りませんでした。

でも、この人がやっていることは、たとえばデリダが言っている責任とか決断の話、ドゥルーズがヒュームを使って言う習慣の話と直結している。

何かをやっているとき、同時に我々は極めて多くのことを、それに注意を向けずにやっている。

ペンを使って紙に論文を書いているときでさえ、ペンを握って思いのままに動かすという極めて高度な作業を楽々行っている。

ここからフィンガレットは人間の意志決定は意識と無意識の共同作業であると言う。

「人間は「こうしよう」という形で決断するのではなく、「そうなってしまう」という形で決断するのである」(p.60)。

!

「そうなってしまう」。

すると、選択の自由とは何かという問題が前景化してくる。

責任は選択の自由を前提にしています。

選択が不自由であったなら、それを選択することはどうしようもない必然事であるから、責任をとれない。

西洋哲学はこれを大前提にしてきたのだとフィンガレットは言う。

しかし、その選択が「そうなってしまう」という形で行われているのだとしたら、この前提自体が大きな誤りをもっていることになる。

すると様々な哲学的概念を変更しなければならないだろう。

フィンガレット自身を読んでいないので、これ以上はいろいろ言えませんが、早速、本を注文します!

話は変わるが、「あのときあの人の授業を受けていればよかった」とよく思う。

大学一年の時は、分厚いシラバスを見て、「こんな授業もあるのか!」「こんなことも勉強できるのか!」と胸を高鳴らせていた。

まぁ、そういう気持ちは今も変わらないけど。

フィンガレットを知ったら、ものすごい興奮したし。

最近、学生から、「國分先生みたいに、何かを知りたいって思い続けて大人になった人が不思議です」と言われた。

うーん、そうなのかなぁ。

今の学生にだってそういう気持ちはあるだろうと思うのだが。

でも、こういうことを言われると、とにかく教師は授業をしっかりやらねばと強く確信する。

大学なんて要するに授業がおもしろければいいんです。

教師は学生の能力低下とか、そんなのを嘆いている暇があったら、もっと勉強しておもしろい授業をしろ、と。

おもしろい授業をしていたら、ダレてる学生も目を開きますよ。

授業というのは、結構、生徒と教師が平等なんですね。

何かダメな話とか、十分に理解していない話をすると、学生にはすぐ分かってしまって、白い目で見られるのです。

だから、本当に授業は緊張します。何十人もの審査員に見られているような気になるのです。

「いまの学生はダメだ」というのは、その緊張に耐えられない人が、自分の授業のダメさ加減を学生の無能力のせいにするための口実です。

そりゃ分野によって違いはあるでしょう。

分数も分からない人に微積分は教えられない。

けれども、マルクスが言っているように、与えられた条件の中でどうするべきかを考えないとダメなのです。

あと、人文系の研究が危機にあるということがよく言われるけど、俺は全然そんなこと思わない。

いい研究をすればいいだけです。

そのことを少しだけ昔書いたことがあるので、最後に引用します。

これは福島知己さんが翻訳されたシャルル・フーリエ『愛の新世界』の書評からの引用です。

愛の新世界/シャルル フーリエ

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福島さんは本当にすごい研究者です。こういう人が研究者です。

パリに保存されているフーリエの草稿をチェックして、この奇書の、世界最高水準の翻訳を完成させた。

そして、マニア的にフーリエを扱っておもしろがるのではなく、この「ユートピア社会主義者」の思想の可能性を最大限に引き出そうとしている。

こういう研究によってこそ、人文学の存在意義が世に知らしめられるのです。

俺もこういう研究がしたい。

「最後に一点だけ、人文系学問の研究の現在について述べておきたい。

 人文系学問の衰退が叫ばれて久しい。大学では文学部が廃棄され、研究費も低下の一途を辿っている。

 そうした制度上の問題点について声を挙げていくことは重要だし、とりわけ大学再編が驚くべきスピードで進んでいる現在はなおさらそうである。

 だが、人文系研究の衰退を食い止めるのは、制度改革への批判ではなく、人文系研究の成果そのものである。すばらしい研究だけが、その研究分野を伸ばしていくというのはあたりまえのことだ。その意味で、筆者自身、福島氏のこの訳業には、人文系学問に携わる者として、大いなる感動と勇気を与えられた。福島氏のこの仕事がなされるためには時間と金が必要だった。研究時間と研究費はこのようにして利用されるべきである。筆者は、「人文系学問は何の役に立つか?」と挑発する者に対して、自信をもって、福島知己版『愛の新世界』を突きつけることが出来る。」

(國分功一郎、「恋愛から自然へ——シャルル・フーリエ『愛の新世界』」、『思想』2008年4月号、p.52-53)