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住所

昨日、ドゥルーズのアベセデールを紹介しました。

今日はもう一つ紹介します。

これはどこかで誰かが書いて紹介していたので、ご存じの方もいるかもしれませんが。

日本の住所の話です。

日本の住所と欧米の住所、書き方が違います。

逆ですね。

たとえばフランスだとこう書く。

17, Rue de la Sorbonne

75005 Paris

(これはソルボンヌのアドレス)

番地、通り名、郵便番号、都市名の順になってます。

つまり、対象となる地点からだんだん広がっていく。

日本は逆です。

〒370-0801

群馬県高崎市上並榎町1300

(これは俺の勤めてる高崎経済大学のアドレス!)

都市名、町の名前、番地の順になっている。

つまり、大きなところに陣取ってから、対象となる地点へと縮まっていく。

ドゥルーズは、フランスのような住所の書き方は、主体や自我、あるいはコギトからはじめる近代哲学のようなものだと言っています。

自分が世界の中心に、ひとり孤独にいて、そこからすこしずつ世界へと広がっていくという考えですね。

だが、日本の住所表記は違うのだ、と。

日本の住所表記においては、自分が世界の中心ではない。

まず世界に陣取る!

そして対象となる地点へと向かう!

こういう存在の仕方、あるいは思考の仕方が大切だと言うのです。

自己や自我や主体や、そういった世界の中心〝点〟から考えはじめてはならない。

まず、いきなり(d'emblée)、世界に陣取って、そこから考えはじめなければならない…。

いいですか。

本当にこういう話を、あのドゥルーズがしているんですよ。

変なことを変なところから考えている人です。

でも、納得します。

主観主義というか、そういうものからドゥルーズはほど遠いところにいるひとです。

彼は強力な客観主義です。

日本人留学生から聞いたんでしょうかね、この話。

日本の住所表記の仕方をまじめに説明する日本人学生と、それを聞いて西洋哲学批判を思いつくドゥルーズ…。

なんかほほえましいです。

住所といえば、住処のことについて、最近よく考えます。

昨年、家を買いました。

最寄り駅は、小平市の鷹の台というところです(西武国分寺線)。

気に入ってます。

大学がたくさんあるんですね。

自宅からは武蔵野美術大学が見えます。

駅周辺をたくさん学生が歩いているというのはいいものです。

個人商店もたくさん残っているし。

小平はいいところですが、小平というよりは、鷹の台が気に入った。

両隣の駅は全然雰囲気が違います。

まぁ、大学があるというのは雰囲気を大きく変えるんですね。

で、俺は大学大好きだし。

最近になって、『思想地図』vol.5「社会の批評」というのに掲載されていた、北田暁大さんと橋本健二さんと原武史さんの座談会を読みました。

東京について、階級論的に考えるというような内容です。

大変興味深かったです。

その中で、北田さんが、住むというのは思想的実践であり、政治的決断であるというようなことを言っているのですね。

これは、中央線沿線に住む知識人と、西武線沿線に住む知識人とが性格を異にするという話の流れで出てきたものです。

まぁ、分かります。

俺は最初小平に住んだのは偶然だったけど、気に入ったからここに家を買ったんですね。

確かに、ここに住むことを選ぶというのは思想的実践であり、政治的決断です。

俺の場合は明確にそうでした。

俺は住居の周辺に繁華街があるのがイヤなんですね。

繁華街は電車に乗って行くところという感じがあるのです。

でも、都心からあまり離れすぎるのはイヤ。

鷹の台には繁華街はありませんが、まあ新宿までそんなに遠くないし。

昔、吉祥寺に住んでた時、歩いていけるところにゲームセンターがあるのに驚いて喜んだんだけど、すぐにイヤになった。

なんか落ち着かないんですね。

こういうエートスは多くの場合、出身と関係しています。

俺は千葉県の柏市というところの出身です。

まぁ、典型的なベッドタウンです。

柏については俺は複雑な思いをもっています。

それはどうでもいいんですが、

柏については、北田さんが東浩紀さんと対談している東京論(『東京から考える』)でもけっこう多く触れられています。

そこで前提とされていたのが、東京(周辺を含む)は東よりも西の方が裕福であるという図式でした。

俺はその図式に非常に納得しつつ、なんか疑問が出たんですね。

日本の思想界ではこういう図式はなんというかあまり触れられませんでした。

いや、思想界だけじゃなくて、日本ではいろいろ歴史上の経緯もあってのことなのか、地域による経済格差の話はあまりされなかったように思います。

フランスは露骨です。

郊外=貧乏人の移民が住んでる治安の悪い場所

みんながそう思っているし、そう言っています。

もちろん、郊外だから必ずそうだということはありませんよ!

こんなことは言うまでもないことです。

でも、日本では、そもそも地域による経済格差の話が少なくとも今まではあからさまに語られることは少なかった。

では、そういうことがこのようにおおっぴらに語られることはいいことなのかどうか…。

よく分からないなぁ、って思ったのです。

誤解のないように言っておきますが

これは批判ではなくて、純粋な疑問です。

地域的な経済格差——ということは、あくまでも〝統計的〟に見られた、〝傾向〟としての格差(に過ぎないもの)が、このようにあっけらかんと提示されることはいいことなのか。

もし、それまでこの話題が言論封じによって抑圧されていたのなら、その抑圧は間違っているでしょう。

が、そういう抑圧はあったのか?

なんか、みんなそんなことは知っているけど、とくに話題にしてなかった、という気がします。

まぁ、知ってましたね。

とある都市の出身の後輩から聞いた話ですけど、そいつが出た中学校・高校、そしてその周辺の学校も、不良のやることがハンパないんです。

喧嘩で平気で生徒が殺されたりとか、腹立ったから放火するとか、クラスには腹のでかい女の子が何人もいるとか。

これって、新聞にのってたら、ものすごいニュースだったろうと思います。

正直、俺は同世代がそういう学校を経てきていることに、ものすごいショックを受けました。

でも、報道はされてません。

そういう地域があることは知られてません。

これについても、報道してないことがいいのかわるいのか分かりません。

ただ、それを敢えて報道するのなら、携わる人としては一定の心構えや考えが必要でしょう。

俺自身、自分の出身地とはいえ、ある地域について語っている今、いつも以上に緊張しています。

たかがブログなのに。

プラトンについてテキトーなことを断言する方が俺にとってはリスキーなはずですけどね。

なんか緊張した。

鷹の台の駅の横のそば屋はうまいです。

立ち食いそば屋みたいだけど、〝座り〟食いです。

よく、昼に、あそこで、冷やし天ぷらそばを食べてます。

俺の体の二〇%ぐらいはあそこでそばでできてます。

昼に見かけたら声をかけてください。