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外国人、アジ演説、訓読み

明後日のトークショーのために、白井聡君のレーニン論『「物質」の蜂起をめざして』を読んでいます。

いろいろおもしろいところは当日話すとして、一つ紹介したいのが、次の話です。

アーネスト・ゲルナーという政治学者がいますが、彼が前産業社会(前近代社会)について述べていることに白井君が言及しています。

彼によると、前産業社会では、官僚の仕事は自国民に任せるとあぶないと考えられていた。

むしろ外国人に、あるいは宦官や僧侶や奴隷といった特殊な立場の人間に任せていたのだと言います。

「前産業社会では、官僚的機能を最もよく果たしうるのは、宦官、僧侶、奴隷、そして外国人である。自由人として自国に生まれた人間をそのような主要な立場につけるのは、あまりに危険である。彼らは、従来もっている地域や親族のつながりからの圧力や誘惑を容易に受けて彼らの親族や依頼者の利益になるように自分の立場を利用し、また逆に、彼らの親族や依頼者を使って自分の立場をさらに強めるといったことをしがちである」。

(E・ゲルナー、『民族とナショナリズム』、岩波書店、p.172-173)

民族とナショナリズム/アーネスト ゲルナー

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なるほど。

しかも、

「従来もっている地域や親族のつながりからの圧力や誘惑を容易に受けて彼らの親族や依頼者の利益になるように自分の立場を利用」

これめっちゃよくあるじゃん!

古代の知恵はすごい。

まぁ、宦官がどういう理由で徴用されたのかという理由は知ってましたけど、

外国人というのは、なるほどそうかぁという感じ。

そういえば

古代日本の政府が渡来人を官僚として徴用していたことは知られています。

そして、それは渡来人が当時の圧倒的先進国である中国や朝鮮の出身であったからだと言われています。

もしかしたら、それだけじゃないかもしれない。

外国人であるからこそ、フェアに仕事ができると思われていた可能性もあるのではないか。

権力者としては、地元に来歴がないからこそ、使いやすいというのもあったでしょうが。

そして

——まぁ、この後この話題に行くというのは、わかる人にはすぐに分かってしまっただろうとは思いますが——

今度の選挙では外国人参政権権がすこし争点になってます。

直接に示唆を与えてくれるものではないにせよ、この古代の話は参考にはなるかと。

ところで、けっこうあちこちで外国人参政権反対のスピーチをしているのを眼にします。

この前は立川駅でやってたし、先週末だったかは国分寺駅でもやってた。

いま、ああいうスピーチやるひとって、すごいアジ演説がヘタですね。

「私には熱意があるのよ」という点だけを伝えようとしているから、内容が届かない。

歩いている人たちは、5秒から10秒ぐらいしかアジ演説の音が耳に入らないのだから、それぐらいの単位ごとに、自分が何を訴えているのかを分かってもらえるような要素を入れないといけない。

しかし、往々にして、フレーズを収集させること(一文をきちんと終わらせること)で精いっぱいだから、前を通る人には本当に断片しか分からない。

プロじゃないんだから、定型のフレーズをつくってメモしておいて、それを見ながらしゃべればいいのに。

学生運動盛んなりし頃は、「ビラ撒き三年、アジ八年」と言ったそうな。

そういえば、ある時期、渡来人のことをずっと授業で話していた時期がありました。

日本語の訓読について講義していたときです。

訓読というのは実に変なものです。

たとえば

という感じ。

音読みなら「ト」

訓読みなら「ノボル」

ですね。

音読みは中国から来た音(もちろん多少は変化してる)

訓読みは漢字到来以前から話されていた単語の音

であると言われています。

つまり、古代日本人は文字をもたなかったため、

漢字を利用して自分たちの文字にしたわけです。

こういうことはどこでもあったことですが、

音読み訓読み併用のようなシステムを作った例は稀です(というか俺は他に知らない)。

訓読みが生まれることの奇妙さというのは、こんな風に考えるとよく分かります。

俺等はもう漢字に慣れ親しんでいるので、そこではないところ、たとえば、英語圏からアルファベットで文字を輸入したらどうなっていたかと考えるといいと思います。

たとえば

を「ヤマ」

と訓読みするということは、

mountain

と書いて

「ヤマ」と読むのと同じです。

しかも日本人は漢文のレ点などの記号体系、送りがなの体系を作りだすことで、たとえば、

登山

と書いてあるところを

ヤマヲノボル

と読むことを可能にしました(この場合は「登」と「山」の間にレ点を打つわけですね)。

これは我々が漢文の授業でならったことですが、あれは、日本の書き文字の生成過程を追体験することであるのです。

「登山」と書いてそれを「ヤマヲノボル」と読めるようにしたというのは、先の例でいえば、

climb a mountain

という文字列を「ヤマヲノボル」と発音することに等しいでしょう。

どれだけ変なことだったかが分かると思います。

その変なことを乗り越えて、しかも今もなお使用しているというのが日本語の書き文字体系であるわけです。

俺が参考にしていたのは山城むつみの『文学のプログラム』でした(これは講談社文芸文庫に入っていたんですね!知らなかった!)

文学のプログラム (講談社文芸文庫)/山城 むつみ

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山城さんはいつもおもしろいわけではないのですが、時折ものすごいロジカルな思考を見せるひとで、この本の中でもこの訓読みの分析は最高度におもしろいです。お勧めです。

あと、このあたりで参考文献としておもしろい本が岩波新書にたくさんあります。

笹原宏之『日本の漢字』(岩波新書)

白川静『漢字—生い立ちとその背景』(岩波新書)

大島正二『漢字伝来』(岩波新書)

小松茂美 『かな—その成立と変遷』(岩波新書)

(全部リンク貼るのが面倒なので、リンクはなしで。)

渡来人が何をもたらしたのか、それに対して当時の日本人がどういう気持ちであったか、それを考えるのはとてもおもしろい。

授業ではこんなことも言ってました。

訓読みは、「読み」とあるから、読むために作られたように思えるかもしれないが、そうではない。

訓読みは日本語を書くために作られたのだ。

これについては長くなるのでまた次回。