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完全競争市場

勤務先の高崎経済大学に経済学会というのがあるのだが、昨日、そこで小さな研究会を主催。これがとてもおもしろかった!

俺と一緒にこの大学に赴任した伊藤宣広先生が「経済学における競争の概念」というタイトルで、初学者向けの経済学の授業の問題点についてお話ししてくれた。

この伊藤先生は、俺より四つぐらい下だが、もう二冊も本を出していて、すさまじい俊才である。

現代経済学の誕生―ケンブリッジ学派の系譜 (中公新書)/伊藤 宣広

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ケンブリッジ学派のマクロ経済分析―マーシャル・ピグー・ロバートソン (MINERVA人文・社会.../伊藤 宣広

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※みなさん、読んでください!

話をしていても、淡々とよどみなく説明が続いていく。

すごいなぁ。

がんばってその内容を伝えます。

まずは完全競争市場について。

初学者向けの経済学の授業が、完全競争市場の話で終わってしまっているが、これはいかがなものか?

完全競争市場というのは実は既に競争が終わっている市場である。

なのに、例の、需要曲線と供給曲線がクロスするグラフが出てきて「調整」が行われる。

これはおかしいだろう、と。

伊藤先生によれば、これは初学者を馬鹿にしたまやかしである。

そもそも、完全競争市場というのはほとんどフィクションであって、現実には存在しない。

もちろん、最も単純なモデルとしてこれが用いられているというのは分かるが、しかし、ならばなぜ価格調整の話がでてくるのか。

次。

完全競争市場→寡占市場→独占市場という順序で教科書の記述は進む。

しかし、これは端的に論理的な順番であって、歴史的な順番ではない。

独占にはいくつか種類があるけれども、一番考えられるのは、イノベーションによって新しい製品が市場に投入され、その一番手の企業が市場を独占するという形態。

すると、他の企業は技術を盗んで次第に市場に参入するわけだから、教科書の記述とは反対に、むしろ、独占市場→寡占市場と進む。

ここでも完全競争市場から話を進めるのはおかしいということになる。

で、結論は市場原理主義について。

市場は競争を通じて作動する合理的な調整マシーンであるとして、これを称揚するような傾向が出てきたのは七〇年代以降のことではないか。

それまでの経済学はアダム・スミス以来、財の分配を大きな課題にしていたのであって、市場における競争が問題としてクローズアップされていたわけではない。

だから、アダム・スミスなんかを市場原理主義のイデオローグのように捉えるのは、単に『国富論』を読んでいない人の間違い。

最後には、ジョーン・ロビンソンのありがたいお言葉がひかれていました。

「経済学を勉強するのは、経済学者に欺されないためである」。

どんなに科学的な装いで提示されている経済学説でも背後にはイデオロギー的な何かがあるので、それを見極めることが出来るようになるためであると。

俺の要約では伝えきれませんが、とにかくおもしろかったです。

いつも参加者五人とかいうことがあるらしいのですが、それが二〇人近くも来てくれたことはうれしい。

けど、これは一〇〇人以上に聞かせるべき話だったなぁ。

会場にいらした先生からは、金融市場では実は完全競争市場にかなり近い市場が成立しているとの指摘があり、これもおもしろかった。

インターネットの登場により機会費用がかなり小さくなっているとかいったことも関係しているようです。

俺は専門家じゃないので分からないけどね。

俺なりのいくつかのコメント(司会をしていたので十分に話ができず)。

基礎をやってから応用をやる。そのために最初は完全競争市場から話を始めるというのは分からなくはないが、しかし問題も多いという伊藤先生の話には納得。

俺は、このブログでも前に書いた、カントの言う、哲学の学校概念と世間概念の違いを思い出した。

カントは、学生に最初からスコラ哲学のめんどくさい用語とかを教えるのには反対していたのですね。全然役に立たないから。

伊藤先生は、基礎をやってなくても、結構応用からやって分かることはあると言っていた。

分野は違うが俺も同感。

哲学史をがりがりやるのは大切だが、いきなりカントの講読とかやった方が分かることがある。

基礎は後からついてくるというか。

そういうことを考えました。

あと、伊藤先生が最後に引いたジョーン・ロビンソンですが、俺にとっては思い出深い名前です。

といっても、この人の経済学の本を読んだわけではありません。

この人の或る言葉を以前目にして、それをいつも論文のエピグラフに使っていたのです。

最後にそれを引用しておきます。

「あるものを知るためには、一切のものを知らねばならない。

しかし、あるものについて語るためには、大多数のものを無視しなければならない。」

J.Robinson, Rising Supply Price, Reading in Price Theory, 1952, p.241