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小平市保育園民営化、民主主義、哲学の使命

先週の金曜日に

小平市の保育課の方々と

意見交換会というものやりました。

日曜日には、

保育園の民営化問題にお詳しい先生に来ていただいた

勉強会も開催されました。

というのも、

小平市がついに

公立保育園の民営化方針を公表したからです。

昨年来、

小平市子育て支援協議会というところで協議されていた内容が、

「公立保育園の運営のあり方に関する方針(素案)」として発表されました。

ついに来たか

という感じです。

以下にすこしこのことについて書きますが、

あくまでも俺というフィルターを通った紹介ですし、

ここでの意見は、

俺が所属する団体ともいかなる関係もないということ

勉強会や意見交換会の模様の報告もあくまで俺の感想として書かれていることを、

あらかじめ

(めずらしく)

書いておきたいと思います。

全体を紹介するつもりもないので、関心のある方はこちら から素案が見れます。

市は民営化についての意見も募集しています。

民営化というのは

だいたいが財政難

あるいは

公務員減らし

のために行われるわけですが、

今回の民営化案は

そうではないということを保育課は強調してました。

どういうことか、

説明していきます。

今回の素案によれば、

民営化は一度に行われるのではなくて、

民営化する市立保育園の近くに私立保育園を建て、

数年かけて行っていく。

数年かけていまある公立園を廃園にする。

数年かけるとはどういうことかと言うと、

まずは私立園を立てる。

そして、

公立園の園児の親に、

新しく立てられた私立園に移りたい人は移ってください

と言う。

移る人は移る。

もちろん、残る人もいるだろう。

その人は卒園まではいられる。

ただ

(ここがポイント)

廃止になる公立園は

その時点で募集停止。

したがって、

最初はたとえば五歳児から二歳児までいる園が、

次の年は五歳児と四歳児と三歳児だけになり、

その次の年は五歳児と四歳児だけになり、

最後は五歳児だけ(!)になり、

その子たちが卒園したら

廃園。

この方式をとった他市の保育園の保育士さんが

日曜日に来ていて、お話してくださいました。

最後の年、

その園では

園児は

十二人になってしまった。

子どもの声で騒々しいはずの保育園が

朝から晩までシーンとしている。

子どもたちは寂しい環境で毎日過ごさねばならない。

いったいどうやって保育をしていけばいいのか。

子どもたちは年齢も違う子たちと交流しながら

成長していくというのに。

行事もどうしたらいいのか。

その前の年の卒園式でも

「小学校にいっても遊びに来てね」

とも言えない。

その保育士さんは

お話されている途中で泣いてしまいました。

感傷的な話をして

現実の諸条件を無視し、

民営化になんとなく反対

みたいなことをするつもりはありません。

俺は民営化は絶対反対というつもりはない。

理由とやり方によっては仕方ない場合もあると思っています。

ただ、

小平市の場合は、

保育課課長が

保育士を減らしたいなんて気持ちは少しももっていないと

意見交換会でも熱弁。

しかもかなり本気っぽいです。

更に

財政難のためでもないと

熱弁。

だって、

この方式だと二園を並行して運営することになるから

お金は余計にかかる。

じゃあ、なんで民営化?

理由として挙げられたのはこういうものでした。

いまは「多様な保育サービス」が求められているし、実際にそうしたものが必要。

延長保育、年末保育、病後児保育、

更には

虐待防止なども視野にいれた

地域全体の子育て支援。

子どもの一時預かりなんかも必要。

そういったことを公立園もやっていかねばならない。

しかし、

人員が足りない。

そして、

公務員減らしが強く求められている今、

保育士を増やすのは非常に困難。

だから、

一園を廃止し、その分の保育士を他の仕事にあてたい。

そういう話だそうです。

まぁ、

分からない話ではない。

「多様な保育サービス」が必要というのも確かにそう。

今回の民営化は

保育士の配置転換と考えている

との話もありました。

しかし、

そういう「多様な保育サービス」のために

わざわざ一園つぶす必要があるのか。

ここが最後まで疑問。

今の態勢でも工夫すればなんとかなるんじゃないのか?

だって、

いまも非正規の職員の方がたくさん保育園では働いていらっしゃる。

公務員である保育士の数を直接増やさなくても

なんとかなるのでは?

保育園というのは地域に強く根ざしています。

周囲には卒園児もたくさんいるし、

周囲との協力関係もいろいろある。

だから、

既存の公立園を廃園にするというのは、

地域にとっての大変な大手術なのです。

そこまでする必要があるのか。

どうでしょう。

さらにもう一つ要素が付け加わります。

これはそれ自体としては大変いい話なんですが。

小平市は

民営化案と同時に

私立保育園を作る、

つまり市の認可保育園を増やすことに前向きであると、

新しい方針を提示したのです。

これはものすごい方針転換です。

ただ

ちょっと条件がついていて、

よい条件の設置者から申し出があった場合は、

民営の認可保育園を作りたい

と言っているんです。

設置者を公募するんじゃなくて、

申し出を待つ

ってことなんで、

消極的ではあるんですけどね。

でも、これは評価できます。

この時代に

認可保育園を増やしたいと思っているって言うんですから、

これはすごいことですよ。

これ自体は俺も高く評価したい。

さて、

増やす気があるんなら、

なおさら、

一園つぶして新しい私立園を作る必要はないのでは?!

もうちょっと積極的に探して、

一園できれば、

市全体として見れば、

人員等々に多少の余裕はできるわけですよね。

だから、

なおさら民営化の理由がよく分からないなぁ。

意見交換会で俺が聞いたんですけど、

民営化が始まるより前に

いい設置者からいい申し出があったら、

新しい私立保育園を作る方を先にやるってこともあり得ますか

との質問には

もちろんあり得ます、

いい設置者から申し出があればすぐにでもそうしたい、との回答

!!!!

なんか、

保育課もあんまし民営化に乗り気じゃないんじゃないか、

そんな気すらしてきてしまうわけです。

民営化ってのはやはり、

流れなんでしょうか。

流れがでてくると、

役所としてはどうにも対処できないってことなのか。

すこし保育園を離れた話をします。

最近、民主主義についてよく考えます。

我々が知っている議会制民主主義というのは、

代表制です。

したがって、

民主主義といっても

それは

立法権力に正当性を与えるという意味しかもっていない。

かつては

「王様がこうするとおっしゃったのでこういう決まりを作りました」

という形で法律に正当性が与えられた。

それを近代の議会制民主主義では、

「有権者の過半数が投票した党が決めたことですのでそうなりました」

という形になっただけです。

つまり、

近代の民主主義では、

民衆は立法権力に関わるだけ、

しかも

間接的に関わるだけです。

しかし、

実際に民衆に関わることをするのは

行政です。

たとえば保育園の民営化みたいに。

ならば、

民主主義というものを仮にきちんと実現しようとするのであれば、

何らかのかたちで

民衆が行政権力に関われなければ

それがきちんと実現されているとは言えないのではないか?

最近そういうことを強く思うのです。

民主主義と言うんだったら、

立法権力の正当性だけではなくて、

行政権力の実際に関われなければだめじゃないか、と。

具体的な案があるわけではないのですが、

これは立法ないし法の問題ではなくて、

行政の制度の問題です。

制度の観点から考えていかねばならない問題です。

先の小平市保育園民営化計画に関して言えば、

その具体的内容を協議する協議会は

公募で委員を募集していますし、

パブリック・コメントも募集はしています。

でも、

子育てしている親が公募委員になれるかというと

大変難しいし、

パブリック・コメントも拘束力をもつものではありません。

なにかもうすこし制度が必要な気がします。

こうすればいいだろうという案は

すぐにはでない。

でも、

そういう時こそ、

哲学の出番ではないのか。

原理原則まで遡って時間のかかる創出の作業にかかわれなければ、

何のための哲学か!

まさしく

Philosophy Sells...But Who's Buying?

ですよ!

哲学の本は本屋に並んでいて売られてはいるけれど、

哲学が手すさびに終わっているんだったら、

それってどうよ、ってことです。

いったい誰が哲学の本を買っているのか、と。

観念論的に民主主義がどうのこうの言ってもダメなんで、

制度の創出を目指さねばならない。

いろいろ調べてみようと思います。

時間はかかるでしょうが、

考えていきたいと思います。