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愚かな戦後が繰り返されようとしているのではないか

原発政策は軍事国家政策に似ている。

政治主導で途方もない額の貴重な国費を使い、

国民に負担を強い

国土をめちゃくちゃにする。

ドイツとイタリアは戦争中、

ファシズムでとんでもないことをやった。

そして反省した。

その二国は

今年も

もう一度反省し、

原発をやめることにした。

日本はこれら二国とは違い、

原発が事故を起こした。

しかし過去の過ちを認めようとも、

新しいステップを踏み出そうともしていない。

原子力政策を推進してきた責任者たちが裁かれない。

東電の社長は退任して退職金をもらうという。

原子力政策を推し進めてきた政治家たちも裁かれない。

戦争時も最高責任者が裁かれなかった。

すべてをA級戦犯に押しつけて終わりにしようとした。

だからいまでもごちゃごちゃもめている。

だが、

それと同時に、

俺のような

政治家でも、

東電社員でもない人間が考えるべきは、

自分が原発政策を黙認という形で支援してきた責任だろうと思う。

これまで警鐘をならす人々はたくさんいたというのに

それを無視してきた責任だろうと。

いや、

黙認だけではない。

(これは高崎経済大学教授水口剛先生の講義で教わったこと)

我々は銀行や郵便局にお金を預けることで

原発政策を進める電力会社を

積極的に応援してきた。

自分がお金を預けている銀行や郵便局が

どこに出資し、

どこに投資しているのか、

それを我々は確かめてきただろうか。

(水口先生は会計がご専門なので、

いったい電力会社に

どこがどれだけ出資しているのかを調べて、

つぶさに教えてくださった。)

俺もそんなことはしたことがなかった。

しかし

するべきなのだ。

俺は

自分が預金している某大手銀行が、

クラスター爆弾を作っている

シンガポールの会社に出資しているということを

(水口先生から聞いて)知った。

お金の流れを考えると

ある種、仏教的な視点で世の中を眺めることができる。

目の前だけを見ていたら決して気づかないつながりに気づくことができる。

直接に手を下していないからといって無責任ではない。

いや、

お金を預けて、

それが利用されて

というのは〝直接〟と言ってよい。

しかし、いま我々は自分たちの責任を回避しようとしている。

政府の一部の政治家をバッシングすることで

その責任から目を背けようとしている。

彼らはさながらA級戦犯である。

「トージョー」に全てを押しつけて、

国民は自分たちの責任に真っ正面から向き合おうとしなかった。

この議論は非常に難しい。

なぜなら国民は被害者でもあるから。

被害者でもあり、加害者でもある。

この二重の立場を

どちらかに還元するのでもなく、

きちんと受け止めていく。

あたりまえだが、

それが冷静になされねばならない。

そしてそれと同時に

最高責任者たちがきちんと裁かれねばならない。

柄谷行人の言う

東京(電力)裁判が必要だろう。

来年あたりにはおそらく「マッカーサー」が来る。

だが、「GHQ」に決めさせてはならない。

今度の「戦後」は自分たちで決めていくべきだ。

それにしても

今回の「戦後」が、

先の戦後と同じく

核で始まったということが

本当にくやしくてならない。

沖縄に負担を押しつけてきたようにして、

福島に負担を押しつけるなどということがあってはならない。

ヘーゲル=マルクスは

歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、と言っているが、

もし先の戦後が

今年から繰り返されることになるのだとしたら、

そこに見出されるであろう「悲劇」とは

この「戦後」の先には経済成長など待っていないということだろう。

そして

それでよい。

そのことを見極めて

これからの60年を

絶対に

あの繰り返しにしてはならない。

……おそらく

以上の比較は

かつての過ちを繰り返さない

かつての過ちに警戒するという意味で

役立つ。

何が同じで、何が違うか、

それをきちんと理解した上で、

3・11後の日本を考えていきたい。

後記(2011年7月14日)

ヘーゲル=マルクスの「歴史は繰り返す」は一度目が悲劇で、二度目が笑劇でした。間違えて、最初の繰り返しを「二度目」と書いてしまっていたので、「一度目」に訂正いたしました。間違いをしてきしてくれた波多野文平くんありがとう!と同時に、大変お恥ずかしい間違いでした…。