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概念による支配

鳩山が辞めたのでずっと思ってたことを書く。

俺は沖縄の基地問題をどう解決していくかについてはいいアイディアがあるわけではない。政治学者でもないし、全くの素人。

でも、一つ思っていたのは、沖縄の基地問題をどう解決していくかについて、民主党政権がなんらの概念も提示できなかったということだ。

たとえばかつて、民族自決という概念が強い力を持った。それが逆にナチスに悪用されたりといったこともあったが、とにかく強い力をもった。

沖縄についても何か方向性を示すような概念を出せなかったのか?

アメリカは新しい概念を出すのかものすごくうまい。「新世界秩序」もそうだったし、「テロとの戦争」もそう。

萱野稔人さんが本山美彦氏と対談した『金融危機の資本論』では、アメリカが「預金は短期の借金」という概念をだすことで周囲を仲間にし、日本の銀行を窮地に追い入れた様が説明されているが、この手口などは本当に感心した。

金融危機の資本論―グローバリゼーション以降、世界はどうなるのか/本山 美彦

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なぜ日本の政府はそういうことができないのか。

佐藤優が東京新聞のコラムで、基地問題について沖縄は存在論で考えているのに、政府は情勢論でしか考えていないと言っていた。

そう。概念がなくて、たんに情勢論。その結果——この前の高崎経済大学での講演会で白井聡君も言っていたが——「抑止力」という古めかしい、タンスの奥からもってきたような概念が突然飛び出してくる。

一言で言って、日本の政治家は哲学の勉強をしたことがないから概念が扱えないのだという他ない。

たとえばアメリカのネオコン。なぜ彼らがあんなに支配力を持ち得たかと言えば、その以後に強力な政治哲学の素養があったからだ。

少し前に『思想』のレオ・シュトラウス特集の話をしたが、シュトラウスはネオコンのゴッドファザーと言われた。

それがいいとかわるいとかはさしあたって置いておくとして、シュトラウスのような一流の哲学者が彼らのバックボーンにあった。それは彼らネオコンの影響力と切り離せない。

彼らに対抗するためには、こちらも哲学的素養で立ち向かうしかない。そしてそれは何により、概念を扱う高度な能力を指す。

「東アジア共同体」は構想としてはいい。しかし、そこには何の道筋も、具体的要素も見えない。

「友愛の政治」はデリダが言っていたことで、だからというわけではないが、これだってそれ自体としてはいい。しかし、なんというか、途中がなくて、結論だけ提示されたという気がする(友愛の政治については、俺はたくさんいいたいことがあるが、それはまた今度)。

スローガンと概念は違う。前者が単純な言葉でイメージを喚起するためのものだとすれば、概念は複数の要素の関係を提示することで人々の考え方そのものに働きかける。

考え方そのものに働きかけるから、影響力を持ちうる。

哲学は概念を扱う。

もっともっと哲学が教育の場に広まっていく必要があります。