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真木悠介とドゥルーズ、性と生殖の差異

真木悠介の『自我の起源——愛とエゴイズムの動物社会学』を(いまごろになって)読んだ。

いま書いている本の文体の参考にと、編集者の方に送っていただいたものだが(すみません、やっといま読んでいます…)

実におもしろかった。

大学生の時に読んでおくべき本でしょうが

俺はそんなに読書家じゃないので、おゆるしを。

自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波現代文庫)/真木 悠介

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真木悠介の言っていることを使うと、

ドゥルーズが言っている七面倒くさい議論が、

ものすごく簡単に説明できる気がする。

たとえば個体についての議論。

クローバーというのは、地上には一本一本生えているように見えるけれども

地下茎でつながっていますね。

(因みに、最近趣味になってきた庭の手入れをしながらこれを実感)。

するとクローバーの個体というのをどこで切るのかは非常に難しいわけです。

大草原のクローバーがつながっていることもあり、するとそれら大草原そのものと一個体と考えることもでき、すると、たとえば例はタンポポですが、

「せいぜい4個体ばかりのタンポポが北アメリカ全体の領地をめぐって互いに競争しているということになりそうだ」(pp.46-47)

だそうです。

アリやハチのコロニーも、コロニー全体で一つの個体と考えた方が分かりやすいと昆虫学者は考えている(p.47)。

で、この後、リン・マーグリスの共生進化論に話が進みます。

この共生進化論というのは、

生物と生物が共生して云々ということではなくて、

細胞内での異質な微生物の共生を考えるものです。

(俺は専門用語は不正確な説明しかできないので、関心ある人はマーグリスの『性の起源』を読んでください。これはだいぶ前に読みましたが、一応、非専門家でも読めます。)

 

性の起源―遺伝子と共生ゲームの30億年/リン マーグリス

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出発点になっているのは酸素の話。

酸素というのは実はものすごく毒性が強い。

それが二〇億年前突然、地球の大気中に広がった(地球に起こった最大規模の大気汚染)。

そのために多くの生物が死滅。

だが、逆にこの酸素という毒を利用してそこからエネルギーを創り出す「呼吸」のシステムをもつバクテリアが誕生。

そして、この「呼吸」微生物との共生を求めて、古株の微生物がこれを体内に取り込む!

この取り込まれたのがミトコンドリア。

そうすると、宿主の微生物はミトコンドリアを利用して生き延びられるし、ミトコンドリアは直接外部環境に晒されることがないから安心。

こうした細胞内での異質要素の共生によって進化が進んできたというのが、どうやら共生進化論だそうです。

これだと、ダーウィンの進化論ではうまく説明できなかった遺伝子変異の積み重ねというのが具体的に説明できるのですね。

すると、一生物、たとえば一個の人間なんかも、先のアリのコロニーみたいに考えられるわけです。

様々な微生物のコロニーですね。

すると、「個体」というのが非常に相対的なものであるということになります。一個の人間の中にも様々な「個体」が生きているわけですから。

ドゥルーズは個体というのは最初にあるんじゃなくて、出来事を通じて形成される、生成するものだと考えました。

たとえば、人間というのは微生物のコロニーだけど、

たとえば、「意識」をもつという出来事が起こると、

それらがモル的にまとめられて個体として生成する。

タンポポはどれもつながっているけれど、

「ああ、タンポポだ」と一本の茎が注目されると

そこに一本のタンポポという個体が生成する。

こんな風に考えられるのではないでしょうか。

なんか、ドゥルーズの「前個体的」とか面倒な用語を使わなくてもいい感じがしてきますが、

まぁ、

ドゥルーズはこういうことをライプニッツなんかを読みながら思いつくんですから

そういうところがおもしろい。

そして、

ドーキンスとかマーグリスの議論をつかって

個体や主体について論じる真木悠介の本は

或る意味でドゥルーズの言っていることをより具体的に、そしてより分かりやすく説明したものとも考えることができると思います。

さて、

ここでもう一つ。

真木悠介の本では

マーグリスを使って、性そして死の話が少し出てくるのですが、ここが俺としては一番関心もちました。

というのも、俺は同じ話を別の視点から説明できるんじゃないかと思っていて、彼の話をまだ飲み込めずにいるからです。

参考にできるのは先のマーグリスの本と

田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティー』という本です。

 

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真木悠介をまず引用しましょう。

「多細胞「個体」という存在の顕著な特質は、必ず死ぬ存在であるということである。単細胞生物は死なない。

 死ぬことはあるが、われわれのように〈不可避の死〉というものをもたない。アメーバAがAとA’に分裂した時、分裂後のAはもとのAではなく、もとのAとしては「死んだ」のだという議論もあるが、それならば子供を産んだ母親はもとの女性でなく、「彼女」は死んだのかという議論にもなる」(p.67)。

俺はこの議論は微妙な問題点を含んでいるように思うんです。

田崎さんはマーグリスを使ってこんな話をしています。

問題は性の起源。

マーグリスによれば性と生殖は明確に区別される。

性とは「二つ以上の源泉に由来するDNAの組換え」。

生殖とは「個体数の増加」。

どういうことか。

この区別の意味を理解するのは、「老化とは何か?」から話を始めるのがよいでしょう。

老化というのはそのメカニズムがよく分かっていなくて、なぜ生物が老化するのかという問題はまだ謎めいているところが多いらしいです。

で、老化発生の原因として有力視されているのが、DNA損傷蓄積説というものらしいです。

DNAというのは紫外線なんかによわくて、すぐに損傷する。

するとプログラムが狂ってしまって、自己複製がうまくいかない。で、老化すると。

どうやら性というのは、この老化に対抗するために出てきたシステムのようなのです。

どういうことかというと、DNAは4種類の塩基からなる二重螺旋ですね。

4種類の塩基は対になるものが決まっている。アデニン(A)はチミン(T)と、グアニン(G)はシトシン(C)と対になる。

つまり、一方にATCCという並びがあれば、他方はTAGGという並びになっている。

DNAが複製されるときは、二つの鎖がほどけて、それぞれが一本になり、その両方に対応する塩基がくっつく。

DNAはこのようにどこか一部が壊れても、同じ情報が再生できる安定性にその秘密があるらしいです。

でも、鎖の一本だけが痛んでいるならそこを切り離してなんとか修復できるけれど、両側が損傷したりして、どうにも修復できなくなったときはどうすればよいか。

別の個体に由来するDNAまたDNAの断片を使うという方法がある。

どうやら、これが性の起源らしい。

細菌のような単細胞生物は他の細菌と接合したり、死んだ細菌の放出したDNAを取り込んだりできる。

つまり、他の個体からDNAをもらい、それによって自分のDNAを修復する。

単細胞生物の場合、そのようなセックス(!)によって、分裂能を回復することができる。

つまり

若返る!

これを田崎さんはこんな風に説明しています。

「単細胞生物では、セックスによって自分自身が自分の子供になってしまうのだと考えるとわかりやすいかもしれない。そうして一種の生物時計をゼロに巻き戻すことができるのである。私たち〔多細胞生物〕の場合、幸か不幸か、ゼロからスタートする個体と私たちは別の個体なのである」(p.47)。

これは性についての見方を一変するものだと思います。

性とは「二つ以上の源泉に由来するDNAの組換え」でした。

単細胞生物はDNAの取り込みとそれによるDNAの組み替えによって、損傷したDNAを復元する。そして若返る(子供として生まれ変わる)。

生殖は分裂によって行う。

だから性と生殖が別。

対し多細胞生物の場合、DNAの取り込みと組み替えによって若返った細胞は、新しい個体として生まれる。

だから、ここでは性が生殖と切り離せないように見える。

でも、

そもそも性(セックス)というのは

或る個体が老化によってどうしようもなくなったときに

生き延びるために出来上がったシステム。

つまり、

種の存続のためじゃなくて

個体の生き残りのためにできたシステムだということです。

性と生殖とを切り離せないものとして考えるのは

人間中心主義どころか

多細胞生物中心主義であるわけです。

俺等の方が後釜なのに、

先輩たちが作ったシステムを誤解して偉そうなことを言っているわけですね。

性は生殖と切り離せないと考えられ、生物には子孫を残す本能があるとかいろいろ勝手なことが言われています。

性欲と生殖そして子孫を残す本能までごっちゃまぜに言われます。

更には、少子化の果て、「今の若者は子孫を残す本能が衰えていて云々」なんて話まで。

でも、性とはそもそもは、個体が生き延びるために作られたエゴイズムのシステムなんですよ!

以上、俺の説明には細かい誤解もあるでしょうが、それはお許しを。あるいは間違いは教えてください。

さて、真木悠介の先の議論は、以上の観点からみると、死というより、性の問題として考えてみた方がいいんじゃないかと思ったんです。

どうでしょうか。

死ぬとか死なないとか言うより、死にそうになった個体がどうやって生き延びようとするか、そこを考えてみた方がいいんじゃないかと。

あと、もちろん

フロイトの言う「死の欲動」という問題もあります。

真木悠介の議論は、生物はすべて死に向かっている、自らで自らの手で死んでいこうとするという「快原理の彼岸」の話とどう接合できるか。

雑ですみませんが、真木悠介自身も引用しているマーグリスの性の起源についての話を入れると、『自我の起源』の話はもっと展開できるように思うのです。

とにかくいろいろ考えました。

あと、最後に。

俺は学生時代に「フォーラム90」という勉強会に行っていて、そこで田崎さんの授業を毎月受けていたんですが、

すごくおもしろくて、刺激になりました。

あの人は信じられないぐらい本をたくさん読んでいて

本当に学者です。ああいう人が学者です。

でも、

田崎さん、

本がすくない!

もっと本を書いて欲しいです。

以下が数少ない田崎さんの本の一つ。

 

無能な者たちの共同体/田崎 英明

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