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競争概念の内在的批判

ゆうパックの配送遅延が問題になっています。

詳しいことは新聞などを見てもらいたいと思いますし、俺は経済学者じゃないので、あまり詳しいことは言えません。

ただ、競争を導入してよりよいサービスを云々という話はいったいどうなったのかと思います。

最近、本当にいろんな場面で思うのですが、競争という概念が魔法の箱のように使われている。

競争を促すと、どこからともなくいろいろなプレイヤーが集まってきて、その中から最適なものが選ばれる…。

そんなわけないでしょ。

この競争信仰はなんなのでしょうか。

いま、競争という概念そのものの内在的な批判が必要。

「内在的」批判と言うのはどういうことかというと…

一般に、

「競争」への批判というのは、

「弱者を切り捨てるのか!」とかそういった視点でなされている。

これは競争という概念そのものの中にある問題点をえぐり出す批判ではなくて、

その外側からの批判、

競争がかなりたかい蓋然性をもってもたらすであろう結果のひとつに対する批判ですから、

外在的批判です。

これだとだめです。

そういうことが必ず起こるのかどうかが分からないし、

そもそも、

弱者を多少切り捨ててでも、全体的なサービスを向上させることをめざして競争が導入されるのだから、

競争を導入しようとしている側にはこんな批判は痛くもかゆくもない。





多分、競争の概念は、何か非現実的なものを前提していると思います。

たとえば、さっき言った、どこからともなく多種多様なプレイヤーが集まってくるという前提、その中から最適なものが選ばれるという前提。

しかし、俺は競争について詳しく知らないので、十分な批判ができません。

残念です。

以前、このエントリーで紹介した
http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10566021744.html

伊藤宣広先生の完全競争市場についての解説などが役にたつはずです。



でも、俺としても競争については多少調べてきてます。

昨年から、一年生用のゼミでミシェル・フーコーの『生政治の誕生』を扱っています。

ミシェル・フーコー講義集成〈8〉生政治の誕生 (コレージュ・ド・フランス講義1978-79)/ミシェル フーコー

¥5,775

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これは新自由主義の起源を探る、フーコーの講義です。

フーコーによれば、その起源は、戦後のドイツにある。

オルドという雑誌を中心にあつまった、オルド自由主義者と呼ばれる人たちの考えがもとになっている。

一八世紀のアダム・スミス的な自由主義は、

交換に市場の基本原理を見、

そして

国家が市場を管理して、自由に交換させるというものだった。

対し、オルド自由主義者たちは、

競争に市場の基本原理を見、

そして、

競争する市場によって国家のすべてを運営させようとする。

市場と国家の関係が逆転しているというわけです。

よく、市場原理主義者の起源みたいにしてスミスの名前が挙がることがありますが、

あれはとんでもない勘違いです。

で、ここまでは割とよく知られていることだと思うのですが、重要なのはフーコーの次の指摘で、

オルド自由主義者たちは

ナチズムへの反省からこのような新しい自由主義を唱えるに至ったというのですね。

ナチズムとは国家の肥大であり、何としてでも国家を押さえ込まねばならない。

新しい自由主義はそのために構想された、と。

そしてその原理こそ

競争

であった。

新自由主義は、国家への憎悪を己の要素として抱え込んでいる。

もちろん、国家は役目なしということではない。

オルド自由主義者たちが言うに、競争は自然発生しない。

競争は自然現象ではない。

それは人工的に創り出されねばならない。

国家が様々な手段をつかって(規制緩和等々?)、

競争を創り出すのです。

そしてそうやって創り出された競争を原理として

すべてを運営していく。

たとえば、すべてを民営化するのだろうし、

大学などの、それまで競争とは無縁であった教育機関をも競争の中に放り込む。




フーコーの分析はだいぶ役には立ちます。

ただ、なんというか、

これだけでは競争の内在的批判にはなっていない。

どうしたらいいでしょうか。



前に、現在検討されている保育園の新制度について書きました。
http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10562504194.html

これも、競争原理を導入して、市場参入する業者を増やし、それによって待機児童を減らすという考えだそうですが

ここでも競争が魔法の箱です。

どうして競争するとたくさんプレイヤーが集まると仮定できるのか。



いま新自由主義批判は、「ネオリベ」批判という言葉でけっこう流行ってますが、

全然本質に届いていない。

さっき言った外在的批判を続けてるだけ。

なんというていたらくか。

「競争原理の導入反対!」と言っているだけなら、そんな楽なことはない。

競争という概念そのものの内在的批判が必要。

でも、俺は分野違いだし、うまくできない。

本当に歯がゆい。

だれか何とかしてください。

これは喫緊の課題です。

競争が、
いかに浮世離れした前提のもとに構築された概念であるのかを

誰か明らかにしてください。

お願いします。







いま気づいたけど、

アメブロのマイページの上のところ

「國分功一郎さん、ゆうパックからのお知らせがあります!」

って広告がのってた。