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芸術による教育

昨晩、復刊ドットコムから、ハーバート・リード『芸術による教育』が届いた。

芸術による教育/ハーバート リード

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復刊ドットコムのお陰で復刊。

で、この本、めちゃくちゃおもしろそうです。

俺はずっとこのところ教育学に関心があって、ドゥルーズの芸術論(絵画論、映画論)も一種の教育学として、とりわけ、見ることの教育学として捉えたいと思っている。

たとえば、ロッセリーニ監督作品『ヨーロッパ一九五一年』の主人公アイリーンについて、ドゥルーズは、「彼女は見、見ることを学ぶ」と言う(『シネマ2』)。

アイリーンは見、見ることを学ぶことで、「感覚運動図式」を突き崩す、新しい知覚の体系を創造し、それが彼女の実践と結びついていく。

ドゥルーズは、「見ることを学ぶ」の中に、新しいものをもたらす創造的実践の可能性を見出していた。

ならば、このリードの本と無関係なわけがないでしょう。

ドゥルーズにおける「見ることを学ぶ」については、

すこし前に紹介した

『情況』2010年1・2月合併号での鼎談「『交差的評伝』から〝交差する思想〟へ」

と、

『表象』04号(2010年)に掲載された俺の論文「欲望と権力」、および佐藤嘉幸さん千葉雅也君とやった鼎談「ドゥルーズの逆説的保守主義」

を参照してください。

表象 04 特集 パフォーマンスの多様体/著者不明

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で、リードのこの本を読んで驚いたのですが、リードは、芸術による教育はプラトンが言っていたことだと言っている!

なんと!

しかし、プラトンは理想国家から詩人を追放したのでは!

このあたりはまだ読み始めたばかりなのでなんとも言えません。しかしこの読解はおもしろい。

プラトンによる詩人追放については、ハヴロックの説が最高におもしろい。

プラトン序説/エリック・A. ハヴロック

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これは絶対に読んで欲しいです!

簡単に説明しましょう。

ハヴロックによれば、詩人追放が変なものに思えてしまうのは、要するに、俺らが思っている詩人とプラトンが標的にした詩人が違うからである。

プラトンを読むと詩が、宗教教育、徳育、教科書、歴史書、参考書、百科事典、参考便覧…など、とにかくありとあらゆる教育手段によって果たされるべき課題を果たすものとして捉えられていることが分かる。

これは実際にそうであったのだろうというわけです。

当時はプラトンのようなスーパーエリートを除いて、大衆は文字など使えない。

だから、多くの知識が詩で伝達された。

詩というより、メロディーがついた言葉、いわゆる〝うた〟ですね。

それが過去の出来事や神話の伝達、さらには情操教育までをも担っていた。

いまでもそうですね。みんなが演歌を聴いていたころは、演歌的なマインドが社会で形成された(=教育された)わけです。J-popが流行れば、J-pop的な感性が形成されているわけです。

すると、このような、うたによる教育、人格形成、そういったものをプラトンは批判していたということになる。

つまり、うたによって教育されると、それは直接に情念、パトスに働きかけるから、距離がとれなくなってしまう。

そこで、理性というかロゴスによる教育、イデアを知性によって「観る」ことを目指す教育が語られた。

それと同時に、ロゴス的教育に真っ向から反する詩人たち(うたを操る者たち)は排除せんと詩人追放論を説いた、というわけです。

どうでしょうか?

いわば、詩人追放論における詩をメディアとして読むというやり方ですね。

俺はこれを読んだときに目から鱗でした。

さて、これを踏まえたうえで、リードの、プラトンにもとづく、「芸術による教育」を読むとどうなるか?

成果を出せるのはずいぶんと先になるかもしれませんが、そのうち何か報告します。

それにしても、昔の映画解説じゃないけど、いやぁプラトンって本当におもしろいですね。

俺はプラトンを読めば読むほど、自分がプラトン主義者だと感じずにはいられない。