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『インコ道理教』からマルクス、ユーゴー、プルードンへ

前回、大西巨人氏の名前を出した。

その後思い出したのだが、だいぶ前、2005年、『縮図・インコ道理教』が出版された際、俺は大西さんに長い手紙を書いていた。

縮図・インコ道理教/大西 巨人

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大西さんはこの手紙を気に入ってくださり、公表の場所を探してくださったのだが、それはかなわなかった。

それをここに公開しようと思う。

『縮図・インコ道理教』はその後あまり読まれていないように思われる。

またこの手紙の中で俺が提起した問題は、俺の中でずっとくすぶっている問題である。

マルクス、ユーゴー、プルードン。

「批判」という営みを巡る問題の一つの純粋形がここにはあるように思う。

長くなりますが、よかったらお読みください。

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大西巨人様

 『縮図・インコ道理教』をお送りいただきありがとうございます。インターネットで連載されていた当時から拝読しておりましたが、このたび改めて通読いたしました。実は連載時より既にお手紙申し上げたいと考えていました。その時に考えていたことの一部を、いまここでまとめ直してみたいと思います。大西さんにはお電話で、光栄にも「批評を」とおっしゃっていただいたのですが、私が今から書くことは批評にはならないと思います。これは、『インコ』(以下このように略称いたします)によって、しかもそこに引用されている一つの文句によって、私が思い出した事を巡る覚え書きのようなものです。最初にそのことをお詫び、そしてお断りさせてください。

 私が取り上げたいのは次の一節です。

二〇〇四年仲春に、作家真田宗索は、書き下ろし長篇小説『アプグルント』を出した。

その一節に、作中主人公馬打富万の謎のような〈また、僕は、『資本論』の、たとえば、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦であり、それ自体が、一つの経済的な力である。」〔第一部第七篇第二十四章第六節〕という類の論定を見ると、次ぎのように思わずにはいられない、――もしもK・マルクスが、第二次世界大戦後・原水爆時代に『資本論』を著作したならば、必ずや、彼はそのようにあやふやな・紛らわしい言語表現を行わなかったであろう、と。〉という思考が、書き込まれている。

(『インコ』、p.100)

 まず、『資本論』からの引用部分が同書の中でどのような位置にあるのかを簡単に確認させてください。この一節は、『資本論』の「第二四章 いわゆる本源的蓄積〔Die sogenannte ursprüngliche Akkumulation〕」より引かれています。この章は、『資本論』第一巻の中でも、価値形態論および商品のフェティシズム論とならんで、有名且つ高密度な箇所の一つであり、私もこれまで何度も読み返してきました。その問題提起そのものは単純です。資本の蓄積は剰余価値を、剰余価値は資本主義的生産を、そして資本主義的生産は、商品生産者の手中に比較的大量の資本と労働力とが現実にあること、すなわち資本の蓄積を前提している。つまりこれは悪循環をなす。したがってこの悪循環を抜け出すためには、資本主義的蓄積に先行する「本源的蓄積」、すなわち「資本主義的生産様式の結果ではなくその出発点である蓄積を、想定するほかない」〔第一部第七篇第二十四章第一節〕。

 このように述べた後で、マルクスはその「本源的蓄積」の事例を歴史の中に求めていきます。第二節が「農村住民からの土地の収奪」。第三節が「一五世紀末以来の被収奪者にたいする血の立法。労働賃金引き下げのための諸法律」。こうして――主にイギリスを例にとりながら――「本源的蓄積」の役割を果たした数々の「暴力」〔Gewalt〕を数えていったマルクスは、続いて、「資本家は最初はどこから来たのか?」という問いを掲げ、第四節で「資本家的借地農業者の生成」を、第五節で「工業への農業革命の反作用。産業資本のための国内市場の形成」を論じて後、第六節「産業資本家の生成」へと到着します。上に引かれた一節はこの第六節より引用されたものです。この第六節が取り上げているのは、もはや第二節が論じていたような規模の暴力ではない。国家が植民地政策と貿易政策をもって大々的に介入することで行われる組織的な「本源的蓄積」です。引用箇所の直前には次のようにあります(『インコ』における引用箇所ももう一度引きます。またこの箇所についてはドイツ語も掲げます)。

「いまや本源的蓄積の種々の契機は、多かれ少なかれ時間的順序をもって、ことにスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスのあいだに、分配される。イギリスでは、それらが一七世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度および保護貿易制度において、体系的に総括される。これらの方法は、一部はもっとも凶暴な暴力に基づいて行われる。たとえば、植民制度の如きはそれである。しかし、封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を、温室的に促進して過渡期間を短縮するためには、いずれの方法も、社会の集中され組織された暴力である国家権力を利用する。暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦であり、それ自体が、一つの経済的な力である〔Die Gewalt ist der Geburtshelfer jeder alten Gesellschaft, die mit einer neuen schwanger geht. Sie selbst ist eine ökonomische Potenz. » (Das Kapital, Dietz Verlag, 1981, Erster Band, S.779)〕」。

(なお、「暴力は、新しい社会を孕む…」の訳は、大西さんの著書においてはいつものことですが、ご自身によるドイツ語からの翻訳であると拝察します。上では『インコ』の訳に基づいて、岩波文庫版の向坂逸郎訳に多少手を入れました)。

ここまで読み進めてきた読者にとって、マルクスの言わんとするところはまず第一にはきわめて明白です。「全旧社会」とは、主として、封建的社会を指している。封建的社会の中には、資本主義的生産様式の可能性を孕んでいるものがあり(“die mit einer neuen schwanger geht”という関係代名詞節は、いわゆる〝関係代名詞の制限用法〟であり、したがって、それの意味するところは、「すべての旧社会は新しい社会を孕んでいる」ということではなく、「旧社会の中には新しい社会を孕んでいるものがあり、そのような旧社会のすべては…」という意味だと思います)、そして歴史上、その可能性を現実化させたのは、たとえば植民地主義のような暴力であった。つまり、暴力が社会を変革してきたのであり、それはたとえば、「スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリス」等々、列強の歴史が示すところである、云々。

また、資本論をここまで読み進めてきた読者でなくとも、この命題を明白なものと受け取ることはできると思われます。この文句の一部を文脈から抜き出して、たとえば、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という一般的命題、すなわち、経済や資本主義勃興の歴史に留まらない普遍妥当的なものとして人の目に映るであろう命題を作り出したとしても、その意味するところは明白であり、多くの人は、自分なりの例を頭の中に探し出しながら、この命題を理解することができます。たとえば、フランス革命は王の首を切って共和制を打ち立てた、等々。

ところが、『インコ』の登場人物である作家真田宗索は、自らの作物である長編小説『アプグルント』の中で、作中主人公馬打富万に次のように語らせている。「もしもK・マルクスが、第二次世界大戦後・原水爆時代に『資本論』を著作したならば、必ずや、彼はそのようにあやふやな・紛らわしい言語表現を行わなかったであろう」。『インコ』の登場人物である船戸の考察(p.114)も参照しながら、僕は、馬打富万の思考は、大西さん――おそらくはこれまでのご自身のお仕事に対して「まだ不満」と言い、そしてまた『資本論』に対しても「まだ不満」と指摘なさる大西さん――ご自身の思考でもあると判断します。つまり、言わんとするところは明白と思われるマルクスの文言を、大西さんは、「あやふやな・紛らわしい言語表現」であるとお考えになった。なぜか。『インコ』が僕に投げかけている問いはこれです。『インコ』を読んでいろいろなことを考えました。いろいろなことを思い出しました。ですが、問いという形で僕に迫ってきたのは、まさしくこれに他なりません。

 『インコ』の中では、実のところ、この「問い」に対してすぐに答えが与えられます。編集者船戸が真田に、この一節を説明する文章の執筆を依頼する。そして、その文章が上の一節の直後に掲載(引用)されることになるからです(p.101-102)。ですが、僕はここではこの真田の文章は取り上げません。この真田の文章では、マルクスによる武力革命の肯定/否定の問題が取り上げられていますが、僕の考えでは、この問いは、より抽象的な次元での考察を要求しているように思われるからです。同じ理由から、「第二次世界大戦後・原水爆時代」についても何も述べません。むしろこの問いは、私の中で、直前の、船戸と椋信迪との会話に強く結びついています。先の一節は、「五 現景」の「2 真田宗索筆『初夏深思』をめぐって」の(一)よりの引用ですが、その直前、「五」の「1 テロリズムとレジスタンスと」での、二人の会話のことです。その中で船戸はレジスタンスも広義のテロリズムであると言い、椋はそれに対し「必ずしも承服しなかったが、激烈に反論しもしなかった」。そして、「その椋は、『君〔船戸〕の意見は、現実遊離の観念的理想論に過ぎない。』と断じたい模様であった」という一文でこの節は閉じられます。つまり、明快な暴力批判が行われた後で、それにたいする疑問がじんわりと提示され、二つの意見の間の齟齬は解決されぬまま、この何とも居心地の悪い状態のまま、節が閉じられているわけです。

それとほぼ同じ構図はもう一度繰り返されています。この「馬打富万」の言葉についての、社会運動家亀島節義のコメントと、そのコメントに対する船戸の感想です(「五 現景」、「2 真田宗索筆『初夏深思』をめぐって」、(四))。亀島は、「馬打富万」(=真田)によるマルクスの文言の解釈に一定の理解を示しながらも、「しかし、真田君が、そこから一足飛びのまっしぐらに『労働者階級による武力革命』の全面的な『原理的完全否定(議会主義一辺倒)』を論断するのは、有理ではない」と批判的にコメントします。それに対しすぐさま、船戸の感想が述べられる。

船戸は、彼の尊敬する先達亀島の『初夏深思』評から少なからぬ啓発を受け取り、マルクス(共産)主義にたいする亀島の‘unzeitgemäss’な〔「反時代的な」〕信奉・傾倒に今更ながら感銘と爽快とを覚えた。しかし、船戸は、真田宗索の『アプグルント』主人公=作者自身の思考を〈現代のマルクス主義〉とすることに、依然として「間然する所のない」論断を観ずるのであった。

ここでもまた、このまま節は閉じられます。二つの意見の間の齟齬は解決されることなく、居心地の悪さを残したまま、節は閉じられているわけです。この居心地の悪さは、おそらく、「あやふやな・紛らわしい言語表現」のあやふやさ・紛らわしさに直結しています。この点については、後述します。

 本題に戻ります。なぜ、先の命題、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦であり、それ自体が、一つの経済的な力である」は、「あやふやな・紛らわしい言語表現」なのでしょうか。まず第一に注意せねばならないのは、大西さんはこの命題を指して「間違っている」とは述べなかったということ、「間違っている」に相当するような表現は用いなかったということです。「あやふやな・紛らわしい言語表現」という言語表現が意味するところは次のようなものであると思われます。――すなわち、その言わんとするところはだいたい理解できるし、間違ってもいないように思われるのだが、しかし、言語表現として不適切なものを含んでいる、つまり、言語表現上の選択の誤り(〝内容上の選択の誤り〟から区別されたものとしてのそれ)が見いだされるのであり、その結果として、その言わんとするところからはみ出てしまうような意味や、場合によっては、その言わんとするところと反対の意味すら持ち得るのではないか……。

 先に述べたように、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題は、対象を資本主義勃興の歴史(たとえば植民地主義を中心として捉えられるそれ)に限定しようとも、あるいはそのような限定を解いて、歴史一般という広大無辺な対象を取り上げようとも、単なる事実として端的に認定しなければならないことです。この命題を証明するような事実は歴史の中にごまんと見いだされる。では、何があやふやで、紛らわしいのか。いや、むしろ、次のように問うた方が正確であると思われます。この命題は、いかなる時にあやふやで、紛らわしいものとして我々の目に映るのか。それは、この事実認定の命題、すなわち過去を後ろ向きに振り返りながら獲得された命題を、前に向ける、つまり未来に向ける時ではないでしょうか。言い換えれば、この事実認定の命題から当為命題を導き出すとき、「事実はこうであった」から「(だから)こうしなければならない」を導き出す時ではないでしょうか。「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」からいかなる当為が導き出されうるか。言うまでもなく、まず最初に導き出されるのは、「(だから)新しい社会を作り出すためには暴力を使わなければならない」というものです。暴力を肯定する命題です。この当為命題を(α)とします。

マルクス本人はこのタイプの命題のことをどう考えていたか。先に簡単に概括した『資本論』の「第二四章 いわゆる本源的蓄積」では、本源的蓄積の役割を果たした暴力の例が数多く挙げられており、それにたいするマルクスの批判も激烈です。マルクスは、(α)のような命題を無条件かつ単純に肯定することはなかっただろうと思います。もちろん、全否定もしなかったでしょうが。

ともあれ、私がここで指摘したいのはそのことではありません。私が指摘したいのは、マルクスの意図ではなくて、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題そのものの性質、あるいは、その命題が(α)のような命題と取り結んでいる関係の性質です。マルクスは歴史の中に暴力の存在を確認し、それを命題化した。すると、その命題はマルクスの意図とは無関係に、暴力を肯定する当為命題を呼び寄せてしまう。マルクス本人がどう考えていようと何を述べていようと、歴史の中に暴力を観察し、そこから、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題を導き出す営為は、「(だから)新しい社会を作り出すためには暴力を使わなければならない」という当為命題を必然的に招き寄せてしまう。つまり、望ましからぬ過去・現在を分析・観察して得られたデータが、望ましからぬ未来の行為を招き寄せてしまうということです。

おそらく、ここで当為命題(α)に取って代わるべきは、次のような命題でしょう――「(だから)暴力を使わないで新しい社会を作り出す術を探し出さねばならない」。これを(β)とします。これは大変望ましい命題であると思われますし、僕自身、個人的にはこの方向であらゆる事態を考えて行かねばならないと考えています。ですが、「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題が厳然たる事実であるとして、その時、(β)の置かれた地位とはどのようなものであり得るのでしょうか。「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題は、「暴力以外によって新しい社会が生まれることはない」と言っているわけではない。しかし、「暴力以外によって新しい社会が生まれることがある」と言っているわけでもない。そしてマルクスが詳細に証明してしまったように、この命題はおそらく厳然たる事実である。あるいは、マルクスによらずとも、我々は皆、この命題が厳然たる事実であることを知っている。

そのような厳然たる事実を前にして我々に何ができるか。我々にできるのはその命題(β)を信じることです。僕はそれを信じています。厳然たる事実を前にしようとも、なんとしてでも命題(β)が実現されねばならないという信念を貫くことはできますし、僕もそれを貫こうとしています。ですが、ここでもう一歩踏み込まねばならない。命題(β)は信念としてしかあり得ないものなのでしょうか。

ここで我々は、非常にセンシティヴな問題に触れているように思われます。大西さんは、先に引用したように、レジスタンスも広義のテロリズムであると言う船戸の意見を載せた上で、椋をして「君〔船戸〕の意見は、現実遊離の観念的理想論に過ぎない」と言わしめ、そのままその節を閉じた。また、亀島の意見に対して、船戸に肯定的且つ否定的な感想を述べさせた。それは、この問題のセンシティヴな性格に関わっているのではないでしょうか。少なくとも僕はそのように読みました。

真田、船戸、椋、亀島、それぞれの意見をふまえた上で、僕は今、次のように自問しています。「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題が観察と知識から導き出されたようにして、命題(β)を観察と知識から導き出すことはできないのか。暴力が歴史を作ってきた、そしてまた作っているとして、それを前にして尚、信念のみによるのではない、認識による非暴力の要求は可能か。

ここで「世界には平和的革命の例がいくらでもある」と言うことは信念の外に出ることにはなりません。他ならぬマルクスが指摘したように、「人間は自分自身の歴史を作る。しかし、自発的に、自分の選んだ状況においてではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況においてそうするのである」。ここに言われる「状況」は、したがって、暴力を必然的に要請するものであるかもしれないのです。「過去から受け渡された状況」の観察・分析が、(β)のような命題を導き出しうるのか、それこそが私が提起している問いです。

ここで話をもっと単純にするために、すこし脇道にそれてみたいと思います。上の問いは、社会学と呼ばれる学問がほとんど例外なく陥っている落とし穴と関わっています。最近没したフランスのある社会学者は、詳細なデータと調査に基づいて、各階級の文化や意識は親から子へと伝達され、階級は再生産され続けることを「証明」しました。たとえば、A階級の男はA階級の女としか結婚しないとか、B階級の親をもった子はB階級的な物事の見方しかできないとか、そういったことを「証明」したわけです。もしも彼に「あなたは一体何がしたいのだ」と問うたら、おそらく彼は「そうした社会を変えたいのだ」と答えるかもしれません(もちろん、そうは答えないかもしれないという最悪の想定すら成り立ちます)。ですが、こんなことは言うまでもなく、本人がどう考えていようと何を述べていようと、このような社会学的な叙述が招き寄せるのは、「おまえらの運命は生まれた時に決まっている」という結論以外ではあり得ません。その社会学者の活動を追ったドキュメンタリー映画があって、すこしだけおもしろい場面がありました(とはいえ、僕が思っていた通りのことが起こったという意味でおもしろかったに過ぎず、本当はたいしたことのない場面と言うべきですが)。おそらくは治安が悪い、おそらくはそこに住む家族の平均収入が低い、おそらくはそこにある学校の生徒たちの平均点も低い、そのようなパリの郊外――なお、フランスでは、「郊外問題」と言われるほどに、大都市とその郊外との生活水準の差が問題になっています――で、その社会学者が講演を行ったときのことです。公演中だか、最後の質問の時間だかに、レゲエ頭の若者がこの社会学者にけちをつけ始めたのです。「おまえら社会学者は、貧乏人は郊外にしか住めず、したがって郊外は治安が悪化して云々などと抜かして、郊外を悪の巣窟みたいに言っているだけじゃないか」――そのようなことを言っていました。詳しいことは覚えていません。ですが、この若者の指摘は、この社会学者のこれまでの仕事を見ていれば(見ていなくても)正確なものだと言うべきです。郊外に低所得層が集まり、子供たちは高学歴に達し得ず、したがって再び低所得層に落ち着くという「構造」があることは確かです。しかし、だからなんなのでしょうか。そんな「構造」を描き出すのは時間があれば誰にでもできることです。そしてそうした構造を描き出す作業を生み出すのは、郊外にたいする偏見でしかない。その社会学者本人がどう考えていようと何を述べていようと、そうした結論が導き出されるのは当然です。そのような社会学者は、対象を描き出すことによって、その対象に道理を与え、その対象をいわば補強してしまっているのです。

 シュンペーターという経済学者は、その著書『理論経済学の本質と主要内容』という著書を、「すべてを理解するとはすべてを許すことである」という「格言」の引用によって始めています。上で述べたような社会学者は、まさしく対象である社会を「理解」することによって、その社会を許してしまっている、さらにはそれどころかそれを補強してしまっている。そうしたことは往々に起こることです。ですが、分析や叙述はそうしたものでしかあり得ないのでしょうか。歴史を観察・分析したところ「暴力は、新しい社会を孕む全旧社会の助産婦である」という命題が得られた。では、我々はそうした歴史を許すことしかできないのでしょうか。許さざるを得ないのでしょうか。望ましからぬ過去・現在を観察・分析するという営みは、その過去と現在を貫く論理や、それを抱え込んでいる構造を描き出せば描き出すほど、我々に「そうである他ない」と迫ってくる、そのようなものでしかあり得ないのでしょうか。そして我々は、そうした分析・叙述の落とし穴を前にした時、何をもってこれに抵抗すればよいのでしょうか。この分析・叙述の対象に、信念をもって臨む他ないのでしょうか。

 僕にはいまこの場で以上の問いに答えることはできません。しかし、僕には、「信念によってこれに臨む他ないはずがない」という強い信念があります。その信念の根拠を探して、日々の学究を行っていると言っていいと思います。そして、実は、そのような僕の学究にとって強いヒントであり続けている言葉、というか分析があります(わざとこんがらがった言い方をしますと、「信念のみが我々の武器であるはずがない」という私の信念の根拠は絶対に見つかるはずであるという信念を私に与えてくれているのが、この言葉・分析なのです)。本状の冒頭で引用しました『インコ』の一節を、インターネット上で第五回連載時に拝読した際、すぐに僕の頭に上ってきたのが、この言葉・分析でした。それを大西さんに伝えたい、それが僕の頭に上ってきたという事実を大西さんに伝えたいと思い、連載を読んだときより、一筆したためたいと考えていた次第です。ここまでだらだらと書いてきましたが、結局のところそれは、この言葉・分析を引用して大西さんにお伝えしたいというただそれだけの欲望によって突き動かされてのことです。

その言葉・分析とは、マルクス、その人のそれに他なりません。そしてそれは、先に引用した一節――「人間は自分自身の歴史を作る。しかし、自発的に、自分の選んだ状況においてではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況においてそうするのである」が記された一冊、すなわち『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』の中に見いだされるものです。同書は、一八五二年、最初、月刊誌上に発表されました。以下に引用するのは、その一七年後の一八六九年、第二版が出版された際にマルクスが付した序文の一節です。

私のとほぼ同時に同じ対象を論じた著作のうちでは、二つだけが注目に値する。ヴィクトル・ユーゴーの『小ナポレオン』とプルードンの『クーデタ』である。

ヴィクトル・ユーゴーは、クーデタの発行責任者に対する辛辣で才気に満ちた悪口だけで我慢している。事件そのものは、彼の場合には晴天の霹靂のように現れる。彼はそこに一個人の暴力行為しかみていない。彼は、この事件の主導権を、世界史上に例のないような一個人の暴力に帰することによって、この個人を小さくする代わりに大きくしていることに、気づいていない。プルードンのほうは、クーデタを先行する歴史的発展の結果として描こうとしている。だが、クーデタの歴史的構築が、こっそりクーデタの主人公の歴史的弁護に変わっている。彼はこうして、我々のいわゆる客観的歴史家の誤りに陥っている。それに対して私は、中庸でグロテスクな一人物が主人公の役を演じることを可能にする事情と境遇を、フランスの階級闘争がいかにして創出したか、ということを証明する。

(『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』、「第二版への序文」、

植村邦彦訳、太田出版、一九九六年、二〇三~二〇四ページ)

 僕の考えではこの一節は、「批判」と呼ばれるものについての分類学、あるいは、考えられ得る「批判」のおそらくすべてを網羅するであろう三つのモデルを提供するものです(マルクスが「私のとほぼ同時に同じ対象を論じた著作のうちでは、二つだけが注目に値する」と言ったのは、それらが他に比べて相対的に優れていたからだけでなく、それらが「批判」というものの典型的パターンを示していたからでもあると私は推察しています)。第一に、ユーゴー的批判がある。これはマルクスの言うように「悪口」としての批判です。それは何らの認識ももたらさない。むしろ我々を盲目にします。何より問題なのは、悪口は強力であればあるほど、対象の力強さを証明してしまうということです。ユーゴーは、クーデタの廉でルイ・ボナパルトを「批判」し、彼一流の文才をもって悪口を浴びせたが故に、結果的に、彼を、そのような悪口に値する大人物に仕立て上げてしまっている。それが、「この個人を小さくする代わりに大きくしている」ということの意味だと思います。ユーゴー的批判から得られる教訓は実に単純であり、単に「ダメだ」と言っているだけではダメだということです。状況の分析、「事情と境遇」の分析が必要だということになります。

 そこから第二のプルードン的批判が出てくる。事件は「青天の霹靂」として訪れたのではない。それを用意する「歴史的発展」があったのであり、その発展を歴史的に構築することが必要だというわけです。ここでは上の場合とは全く逆に、ボナパルトはその「歴史的発展」の中の歯車に過ぎなくなり、いわばこの個人は限りなく小さくされていることになります。そしてマルクスはそこにある落とし穴を鋭く指摘したわけです。「クーデタの歴史的構築が、こっそりクーデタの主人公の歴史的弁護に変わっている」。つまり、「歴史的発展」を描いたがために、プルードンは、読者に対し、「あのクーデタは起こるべくして起こった」、「ああなる他なかった」と説得することになってしまっているわけです。先に僕が例に挙げた社会学の場合と同様です。「(だから)我々にはどうしようもない」という命題が――少なくともマルクスによれば――そこから引き出されてしまうわけです。マルクスに倣って、我々は「プルードンは客観的社会学者の誤りに陥っている」と言ってもいいと思います。

ユーゴー的批判が望ましくないものを望ましくないと言うだけに満足しているとすれば、プルードンは望ましくないものの由来を説明することで、それを必然的なもの、動かしようのないものにしてしまっている。するとマルクスの「批判」は、この対立を超えたところに位置づけられることになるはずです――少なくとも、マルクスの謂いを正面から受け止める限りは。というのも、マルクスは『ブリュメール18日』の分析は、ユーゴーのそれとも、プルードンのそれとも異なると言っているわけですから。しかし、自作に対するマルクスの説明は大変短いものです。「それに対して私は、中庸でグロテスクな一人物が主人公の役を演じることを可能にする事情と境遇を、フランスの階級闘争がいかにして創出したか、ということを証明する」。この一文の中で、「中庸でグロテスクな一人物」という表現はユーゴー的批判に対応し、「…事情と境遇を、フランスの階級闘争がいかにして創出したか、ということを証明する」という表現はプルードン的批判に対応しているようにも読めます。昔ならば、両者の弁証法的総合と言ったところです。いまなら、両者の対立の脱構築と呼ばれるかもしれません。いずれにせよ、これら対立する両項を抱え込んでいると同時に、その対立には収まり切らぬような批判ということなのだと思います。ですが、僕はまだこれを明確に説明することができません。『ブリュメール』を読むと何となくマルクスの言っていることは分かるような気もするのですが、まだ、それをうまく説明できずにいます。ユーゴーとの違いを説明することは難しくはない。だが、プルードンとの違いはどうなのか。あるいはまた、『ブリュメール』が、ユーゴーのそれとも、プルードンのそれとも異なるマルクス的批判を体現するものであるとして、他ならぬ『資本論』はその批判のもう一つの例であり得ているのか。残念ながら、いまここでは以上の問いに答えることはできません。

最初にお詫び・お断りしていたように、批評どころか、答えも出せないで問題をつぶやいているだけの独り言のようになってしまいました。ですが、それは『インコ』が、私に答えを差し出してくれる類のものではなく、「自ら問いを投げかけろ」と迫ってくるものであったからであると思います。インターネット上で『インコ』が「論争小説」と形容されているのを目にしました。そのようなジャンルが存在しているのかどうかは知りませんが、傾聴に値する形容だと思います。もちろん、それを、小説の中で論争が描かれているという意味においてではなく、小説が論争することを迫ってくるという意味において理解する限りでのことですが(また、『インコ』を小説と呼ぶべきかどうかも、私には分かりません。『神聖喜劇』を例に挙げるまでもなく、大西さんの作物は常にジャンル横断的なものであったわけで、すると、小説という呼称そのものについても論争することを迫っているのかもしれません)。とにかく、今は、自らに提示した問いへの答えをいつか大西さんにお伝えいたしますと約束することしかできません。その約束をもってこの長くなってしまった手紙を閉じたいと思います。

2005年8月15日

國分功一郎

追伸。

手元に資料がないので記憶に頼る他ないのですが、確か中野重治は、「政治と文学論争」と呼ばれる一連の論戦に与したエッセーの中で、大衆娯楽的物語(忍者の話など)を使ってプロレタリアを闘争へと駆り立て、階級意識を植え付けようとする「プロレタリア文学」の一傾向に強烈に反対しながら、「大切なのはプロレタリアの生活を描き出すことだ」と述べていたと思います。あのように言うとき、中野は、いま私が仮説として提示しようとしているマルクス的批判と同じ事を言おうとしていたのかもしれません。『インコ』を読みながら、私の中で、最近全く読んでいなかった中野への関心が再び高まりつつあります。