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「ヴィジュアル系」論

【以前、プラネッツのメルマガに掲載した「ヴィジュアル系」論です。】

 本稿は私が昨年2012年の秋、世界最大の書籍見本市「フランクフルト・ブックフェア」を訪れた後に執筆した報告書である。報告書であるため、公表を目的には書かれていない。そのため、本文では昨年同フェアを訪れた大澤真幸さんの報告書を紹介している。それを読んでいないと少しわかりにくいところもあるかもしれないが、全体を通して言いたいことは最後まで読めばお分かりいただけると思う(なお、大澤さんには、今回のこのメルマガでの拙文公表の許可をいただいている)。題材はちょっとおふざけのように思われるかもしれないが、真面目に書いたものである。このたび、プラネッツ・メルマガ編集部のご厚意により、ここに公表する。
國分功一郎

 


 

フランクフルト・ブックフェア出張報告書

──日本の人文系研究の「ヴィジュアル系」

 

國分功一郎

私は2012年10月10日から10月13日にかけて開催されたフランクフルト・ブックフェアに参加した。

このブックフェアは世界最大の規模と聞いていたが、まさしくその通りで、シャトルバスで移動しなければならない広大な敷地に集まった約10の建物を書籍が埋め尽くしている様は圧倒的と言う他ない。これだけはやはり体験しなければ分からないもので、大きさだけを言ってもとてもその実感は伝わらないだろう。

私は三日間にわたり、文字通り朝から晩まで、フェアの各ブースを歩いて回り、本を見て回った。

9日にフランクフルト入りした私は、ホテルで落合さん柴山さんと落ち合い、作戦会議を開いて当日に臨んだ。10日朝、既に何度か本フェアを訪れている落合さんと一緒に会場を歩き回り、その全体像をお伝えいただく。なお、靴はウォーキング用のシューズで来ることを勧められていた。

本フェアにはiPhoneおよびiPad専用のアプリケーションが用意されている。どの出版社がどこの建物にいるか、会期中どのようなイベントが開催されるか、どこにいけばお望みのアイテムが手に入るか、すべてがそこに記されている。便利だったのは、そのアプリケーションを経由して写真を撮ると、それをブース毎に保存してくれる機能である。あるブースで気になる本の写真を撮れば、そのブースのディレクトリーの中に写真を保存してくれるわけだ。私はメモ代わりにたくさんiPhoneで写真を撮った。

私はフランス系のことに最も詳しいので、初日はInternationale Verlagの館でフランス語の本を読みあさった。お隣の国であるからもちろんたくさんの出版社がブースを出している。久しぶりにパリの本屋を訪れた気分になって、まるで自分のための本探しのようにブースを練り歩いて本を探した。自分はフランス語でのコミュニケーションが最も楽ということもあって、出版社の人とも情報交換を行った。

今回の出張は、日本語に翻訳して出版するべき本の調査が目的である。帰国後すぐにそのリストを太田出版に提出したが、多分、そのリストの半分近くの本を初日に発見している。初日はフランス語の本だけでなくドイツ語の本も見て回ったが、やはり「これだ!」という本はすぐに目に付くものである。歩いているだけで、本から呼びかけられる感覚だ。

二日目は英語圏の本を集めた建物に向かう。なんといってもこのジャンルが一番大きい。しかし、私の関心を引くジャンルばかりではない。英語の本は読者が多い分、私の関心に入ってこない分野の本も多い。私は大学の出版局を中心に歩くことにした。デューク大学出版、ハーバード大学出版で多くの時間を使う。英語圏は、特に人文系の本に関しては、複数の論者が論考を寄せる形態の論集が多い。論集の場合、テーマはおもしろそうでも、日本で翻訳出版するとなるとハードルが高い。あまりリストに入れていくことはできなかった。

とはいえやはり英語圏は層の厚さが違うので、いくつもの興味深い本に出会えた。私が特に関心をもったのは原子力関連の本である。日本も原発関連本はあふれているが、日本のそうした書籍よりも「科学的」というか「学術的」な本が目立った。逆に言えば、日本の原発関連本があまりにも学術色薄いものということかもしれない。

もう一つ、児童書、特に電子書籍の形での児童書が新しい市場を獲得していることに驚いた。日本はなんだかんだ言っても電子書籍の普及率は非常に低い。ヨーロッパは電子書籍に関して日本よりも積極的であるように思えた。紙の本からしてそうだが、ヨーロッパの児童書は子供だましでない。デザインが非常にすぐれている。かつてよりあるその態度とアイディアが電子書籍発行の児童書にも生かされている。日本は独自にすぐれた電子書籍児童書のコンテンツを作ることは多分難しいだろうから、これをうまく翻訳することを考えればよいだろう。日本の出版社はもっと児童書に力を入れてもよいのではないか。日本は絵本市場はかなり発展しているが、親が欲しくなるようなオシャレな児童書は非常に少ないように思う。


以上が全体に対する概括的感想と報告である。ここからは個人的な見解を付け加えていきたいと思う。その際に参考にしたいのは、前回の2011年にフランクフルト・ブックフェアに参加された大澤真幸さんの提出された報告書「Frankfurt Book Fair 2011 報告・所感」(2011/11/01)である。

私はこの報告書に強い興味を抱いた。簡単に大澤さんの論をまとめておきたい。大澤さんはこのブックフェアに参加し、日本の出版界のこれからに対して強い危機感を抱いたという。日本の大手出版社はこのフェアに参加していない。それは、日本の出版社が海外からオファーを受けるような書籍を出版していないからである。日本はコミックと小説しか輸出できていない。それはそれなりの評価を受けている。しかし大澤さんによれば、それらは「美学的」に消費されるものでしかない。つまり、海外の知性に脅威を与えるようなものになり得ない。日本が文化人類学的な興味の対象になっているに過ぎない。

ここで日本の出版社の使命はしたがって、当然のことながら、海外から翻訳のオファーが来るような理論的な思想書・哲学書を出版していくこと、となる。だがどうやって? 大澤さんはここで思いもよらない例を引き合いに出し、それを今後の日本の出版戦略立案のための参考にしてほしいと言い出す。その例とは、野球選手のイチローである。

大澤さんはイチローを松井秀喜と比較する。松井と比した際のイチローのすごさは、彼がベースボールの定義そのものの変更を迫ったことにある、と大澤さんは言う。松井はホームランを打つバッターとして頭角を現した。これは力と力がぶつかり合い、力が強い方が勝つというこれまでの「アメリカ風」のベースボールの定義そのままのプレイである。したがって、松井は日本ではすぐれた選手として目立っていたが、メジャーリーグにいくとそこまでの活躍はできない。松井のような選手は既にそれなりに存在しているからである。

それに対してイチローはこれまでのベースボールが想定していなかったプレイを発明する。それはボテボテの内野ゴロであっても、俊足によってヒットをもぎ取るというプレイだ。普通は内野ゴロになると、その時点で勝負はついていると判断されて、投球を見守っていた野手達の緊張感はほぐれる。ところがイチローがバッターボックスにいる場合は違う。イチローがボテボテの内野ゴロを打った瞬間に、最大の緊張感を強いられるドラマが始まるのだ。

しかもイチローはボールのリリース後に、ピッチャーの投球にあわせてバットを振るという特殊な技をもっており、それが驚異的な安打数につながっているという。大澤さんによれば、これはイチローがあくまでも受動的に振る舞っていること、受動的に振る舞うことによってむしろ自由を発揮していることを意味している。そして、大澤さんはこれを「非常に日本的なアイディア」だと指摘する。これは西洋的な文化のコンテクストではなかなか出来ない発想である、と。

報告ではこのイチロー的発想を出版の具体的戦略に直接結びつける記述は見られないが、ここで意図されていることは明らかであろう。西洋とのパワー合戦に勝利しようなどといきり立たないこと。そして、むしろ受動的に振る舞うことで自由を獲得し、それによって相手にゲームのルールそのものの変更を迫るような球を打ち返すこと。

私はこの大澤さんの説明に非常に興味を持った。というのも、いわゆる「海外で本を出版する」ということについて私がぼんやりと考えていたことに説明とまでは言わないまでも、イメージを与えてくれたように思えたからだ。敢えて単純化して言えば、これまで「日本の思想」に関しては、日本の内部でべったりと自己満足にひたりきって存在し続けるか、海外とのパワー合戦で勝つといきり立つか、そのどちらかしかなかったように思う。その際、「イチローの思想」は非常に示唆的である。

ここで私はこの大澤さんの論を受け、「イチローの思想」に非常に近い事例を取り上げたいと思う。それは、いま日本文化の中で相当な海外進出を果たしている分野でありながらも、当の日本ではそれほどその事実が知られていない分野である。そして大澤さんが日本出版事情を語りながらイチローに突如言及することが唐突に思われたように、私のその事例に対する言及も同じく唐突である。その事例とは「ヴィジュアル系バンド」である。

「派手な化粧やファッション、独自の様式美で異彩を放つ日本のビジュアル系バンドが世界を圧巻しているアニメやコスプレと連動し、数々のバンドが海外公演を成功させるなど、今や音楽を超えた「日本の文化」だ」。

これは共同通信の記者、多比良氏の手による2011年5月頃の配信記事である(本稿では2011年6月7日づけ京都新聞に掲載された記事を参照している)。

ヴィジュアル系についてご存じない方のために説明しておくと、これは化粧などをして派手に着飾った男性ロックバンドの総称である(敢えて言えば70年代のグラムロックに少し似ている。しかし、音楽的傾向や趣味の傾向などは全く異なる)。1989年にメジャーデビューした「X JAPAN」(当時は「X」)がその元祖とされている。派手なファッションは当初、一部の熱狂的なファンを除いては、ほとんど支持を受けることがなかったが、「X JAPAN」の圧倒的な人気によって認知度は急上昇し、多くの後輩バンドたちが生まれた。

〝硬派〟なロッカーおよびロックファンたちは当初から「あんなのは格好だけ」と非難を浴びせていた。自分たちこそが本当のロックをやっている、と。しかし、ヴィジュアル系が現れて二〇年たった今、その非難はどこか空疎なモノに聞こえるようになってきている。というのも、ここで言う硬派なロッカーたちほ発言に見え隠れする海外への劣等感がこれまで以上に明らかになってきてしまっているからだ。彼らは欧米の(具体的にはイギリスとアメリカの)ロック・ミュージックを模範としている、ロック界の優等生である。当然、ビジュアル系などはちんけな不良に見えただろう。

だがこの「不良」たちは、そんな傍の目など気にせず、自分たちがやりたいように突っ走った。おそらく誰がなんて言ってようと関係がない、やりたいようになるという強いパッションは、かつてのロックが守っていた気持ちそのものであろう。そしてそれは強いポピュラリティーを獲得する原動力となった。やはり人を小馬鹿にする優等生の態度よりも、人の言うことなど知らんぷりでやりたいことをやっている人間の純粋さの方が人の心を打つのだ。しかも、興味深いのは、この日本のヴィジュアル系が海外から強い支持を獲得し始めたことである。

ヴィジュアル系の中でも特に「これはやりすぎだろ!」という派手なファッションで知られる「ヴェルサイユ」(バンド名もやりすぎである)は、国内よりもむしろ海外で最初に人気に火がついた。結成間もない2007年5月、何気ない気持ちでYoutubeにバンドの映像を公開すると、海外からの取材や出演依頼が相次ぎ、翌春には欧州5カ国を回るツアーが実現する。メジャーデビュー後には14カ国を回る世界ツアーまで行っている(先の記事を参照)。

これまで日本のロッカーたちが夢見て憧れてきたのが「海外進出」だった。実際、海外デビューを果たした日本のロックバンドは少なからずいる。「ラウドネス」「ヴァウワウ」等々。そして、それは少なからぬファンを獲得したことも事実である(日本でも大人気だった「Mr. BIG」のギタリスト、ポール・ギルバートは高崎晃の熱狂的ファンであった)。しかし、その「成功」を熱く語る日本の硬派ロックファンの言葉には、どこか寂しさが付きまとう。「ラウドネス」の音楽は確かに素晴らしい。しかし、その「海外進出」は「向こうに認めてもらう」という範囲を出ていない。どうもそこには日本を長らく支配してきた、海外への、あるいは「欧米」なるものへの劣等感が見え隠れする。硬派なロッカーたちは「海外進出」をまるで聖地巡礼のように神聖視してきた。しかしそれは劣等感の裏返しなのである。

ヴィジュアル系バンドが何より新しかったのは、そうした劣等感から全く自由であることだ。もちろんそれは言い過ぎであり、たとえば最初期の「X JAPAN」は強い海岸進出意欲を燃やし、実際、メジャーデビューのオファーを受けて、アメリカで記者会見まで行った。しかし、「X JAPAN」のメンバー、特にリーダーのYoshikiはやはりどこかその劣等感から自由な精神の持ち主であったように思われる(それにはYoshikiの“育ちのよさ”、いい意味での“おぼっちゃん”的な精神が関係している)。

Yoshikiはどうもこのままのやり方ではアメリカデビューは難しいと判断して、この、これまで多くの日本のロッカーが夢見てきたチャンスを捨て、計画を反故にしてしまう。そして、それがむしろ「X JAPAN」にとっては「海外進出」の真の回路を開くことになった。彼らは逆に海外のファン達から発見されていくことになるからである。現在では「X JAPAN」は全米ツアー、欧州ツアーを開催している。もちろん、日本でやるような何万人も集まる大規模なものではないが、無理矢理に「海外」の音楽業界の論理に合わせるのではなくて、自分たちのやり方を保っていたがために、彼らは海外のファンの目にとまったのである(実際には「X JAPAN」は一度解散しており、再活動は絶望視されていた)。

ヴィジュアル系の海外進出を考える上で、技術革新の問題は絶対に無視できない。要するにインターネットによって情報が瞬時に地球の裏に、ほとんどコストゼロで届けられるようになったことが、彼らをスターダムへと押し上げた。情報化が進まなければ彼らビジュアル系が海外に知られる可能性は非常に少なかっただろうし、少なくとも人気が出るまでには膨大な時間がかかったであろう。しかし、そもそも音楽の歴史は技術革新の歴史と切り離せない。ピアノが量産できるようになったのは産業革命のおかげだし、ロックコンサートができるようになったのは、PA設備が発達したからである。そして、我々が最近の技術革新が音楽に与えた影響としてここで最も注目するべきは、音楽産業の変化である。

情報化によって音楽産業は大きな転換を迫られたことは間違いない。かつては、販路を確保しているレコード会社に圧倒的な権力があった。レコードはレコード店でしか売っていない。ならばレコード店に卸しができるレコード会社の支配は圧倒的である。おそらくそのために、我々が想像もできないほどの悲惨な出来事が数多くあったに違いない。レコード会社に強いられてどれだけのミュージシャンがイヤなことをさせられてきただろうか。2012年末、紅白歌合戦で復活を果たし、全国のテレビの前のアラフォー世代を号泣させた「プリンセスプリンセス」は、当初、そのような力を発揮することを許されず、「赤坂小町」というアイドルグループを強いられ、朝の情報番組でニコニコしながら五人で手を振っていた。「ラウドネス」の前身の「レイジー」は、今となっては想像もできないが、変なダンスをしながらテレビの歌番組で「赤頭巾ちゃん御用心」を歌っていた。私はミュージシャンではないが、そうしたミュージシャンたちのことを思うと強く胸が痛む。

しかし今は違う。自分の音楽を人に届けたいと思ったら、無数のやり方が広がっている。レコード会社の圧倒的支配は(もちろん今もあるだろうが)、かつてのようなものではありえない。それは基本的に情報化によってもたらされたものであり、これを特に享受しているのがヴィジュアル系バンドなのである。

ヴィジュアル系の面白さは、イチローのおもしろさに比しうるものである。ヴィジュアル系はゲームのルールそのものを書き換えている。海外で作られたゲームのルールの上で、海外のプライヤーと力勝負するのではなく、ゲームのルールそのものを日本的に書き換えてしまうこと。

ロックはいわゆる欧米、特にアングロサクソン圏に起源をもつ。ロックミュージックはそこで作られた強力なルールをいくつかもっている。先に言及したロックの優等生たち、硬派なロックファンはそれを大切に守り、それに基づいたロックミュージックを日本で作ろうとしてきた。それは立派なことである。

しかし、繰り返すが、そこに海外に対する劣等感が見え隠れしていたことは間違いのない事実だ。日本のロックバンドによる目立った海外進出は結局果たされぬまま、時代が過ぎる。そして突如、情報化の波とともにヴィジュアル系が現れる。彼らは海外のロックを目指していないから劣等感がない。というか、もしかしたらほとんど知らないのかもしれない。彼らは純粋に着飾って音楽をやることを楽しむ。それはこれまでのロックのルールから外れる何かを持っていた。それが海外のファンからも注目されることになる。これは実に注目すべき事柄だ。

海外に対する劣等感というのは他分野にも見出されたものである。そして、おそらく日本ではいかなる分野においても、そうした劣等感が衰え始めている。私は自分が身を置く人文系の研究の世界でもそれを感じている。研究の世界では「海外の研究」が恐ろしいほどに力をもっていた。しかし、海外の研究だからすごいわけがない。こんな単純なことがあまりに理解されてこなかった。別に「日本の研究はすごいんだ」と居直るわけではない。すごいものもあればダメなものもある。それだけだ。それを素直に見定めることができるようになってきているのだ。

しかし、ヴィジュアル系に比べると日本の人文系の仕事の海外進出はまだまだ進んでいない。だが私はすこしも悲観していない。実際に、私の周囲に現れている仕事は世界水準のものだからである。私はそれを知っている。だから、おそらくヴィジュアル系が自分たちのPVをYoutubeに載せたのと同じ程度の努力を重ねていけば、いわゆる日本の人文系研究の海外進出は進んでいくだろう。私の本も翻訳が進行中であるし、海外で日本語のできる人たちが私のインタビュー映像を見たり、本や記事を読んだりしてくれている。そのおかげであろうか、台湾で行われるドゥルーズの国際会議で、私はなんとアジアの研究者の代表のような形で招待スピーチを任されることになった〔6月頭に実施〕。

私は、日本の書き手にあまり肩肘張らず、とにかく最高のものを創り出すという気持ちをもって仕事を続けてもらいたいと思う。成り行き任せのように思われるかもしれないが、「海外進出」のためにはそれが着実な道である。