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〈原子力の時代〉の哲学(1)

いま発売している『atプラス』という雑誌で、中沢新一さんと対談しています。

 

「〈原子力の時代〉から先史の哲学へ」ってタイトルなんですけど、

 

この〈原子力の時代〉ってのはハイデッガーの言葉なんですね。

 

ハイデッガーは彼が生きた時代をそういう時代だって思ってた。

 

 

atプラス 11/中沢 新一
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福島第一原発の事故以来、

 

ずっと原子力について考えてきました。

 

哲学に携わる者に何ができるかって視点から

 

考えてきました。

 

その成果の一つが上の中沢さんとの対談です。

 

 

で、

 

あの後もいろいろ読んだりして

 

考えるところがあって

 

追加したいと思ってることがあるんで

 

ここに書きたいと思います。

何回かにわけて連載します。

 

 

まず原子力発電は「原子力の平和利用」という言葉とともに現れるんですけど、

 

この言葉の起源はおそらく

 

アイゼンハウアーが1953年に国連で行った「Atoms for Peace」という演説です。

 

当時、アメリカは水爆開発でもすぐにソ連に追いつかれて焦ってました。

 

つまり、核兵器で東側を圧倒しようと思ってたんだけど

 

それはうまく行かないって分かったわけです。

 

 

 

で、どうしたかというと、

 

原子力技術を積極的に他国に提供して、

 

それでそいつらを味方に付けようって考えた訳です。

 

特に第三世界なんかは西と東で取り合いでしたから(それで様々な悲劇が生まれた)。

 

当時は原子力法というのがアメリカにはあって、

 

原子力技術の海外流出を禁止してたんですけど、それを変えたりしました。

 

 

 

 

「これからは原子力技術を平和のために使っていこう!」

 

なんて調子のいいことをアイゼンハウアーは言うわけですけど、

 

単なる冷戦下の世界戦略で決まった政策だったんですね。

 

1954年には日本にも

 

「原子力発電の経済性」と題する文章が

 

米国務省から日本政府宛に送られています。

 

そして日本は1954年に

 

初の原子力関連予算を計上します。

 

(敗戦後、日本はアメリカから核物理学の研究を禁止されていました。で、占領が終わった後、核物理学者たちの間では、研究を再開するべきかどうかで議論が分かれていた。しかし、そういう議論をしている学者たちに相談なしで、〝政治主導〟によって原子力政策が始まります。政治主導というのはまさしくそうで、通産省の官僚たちもこの予算をどうつかったらよいのか悩んだと言います。)

 

 

 

 

そもそもアメリカは

 

原子力の軍事利用を止めたわけでもありません。

 

演説の直後、

 

1954年3月に

 

アメリカはキャッスル作戦という大規模な水爆実験を行います。

 

南太平洋で六発も爆弾を爆発させた。

 

おそろしいです…。

 

そしてそれによって有名な第五福竜丸事件が起きる。

 

 

 

こういう次第で世界では

 

反核(兵器)運動が高まっていきます。

 

しかし、あまりにも核兵器のインパクトが強かったこともあったのか、

 

原子力技術そのものの問い直し、

 

つまり、

 

「平和」利用だろうとなんだろうと、

 

原子力を人間が利用することそのものの問題について考えるということは

 

ほとんど行われませんでした。

 

 

 

上に簡単に説明した事態から分かるように、

 

原子力発電が世界に普及していくにあたっては

 

1950年代というのが大きな分かれ目でした。

 

この時期にアメリカはうまくやって

 

「原子力」と「平和」という言葉を結びつけた。

 

(アメリカは今も昔も、こういう概念操作、イメージ操作が実にうまい。)

 

 

 

日本でも

 

「被ばく国である日本こそが原子力の平和利用の先頭に立つべきだ」

 

という何だかよく分からない主張も

 

結構説得力をもっていたんです。

 

反核運動の中にも

 

原子力発電には賛成という人たちがいました。

 

 

 

 

さて、

 

俺がここで考えたのは

 

当然、

 

哲学者のことです。

 

哲学者たちは原子力技術についてどう考えていたのか。

 

もちろん核兵器に反対する議論は数え切れないほどあった。

 

しかし、原子力技術そのものについて哲学者は何を考えていたのか?

 

特に重要な分かれ目であった1950年代、

 

哲学者は原子力技術について何を言っていたか?

原子力エネルギーについて考えるためには

〈50年代の思想〉について考える必要があるんです。

(世間では、いまもしつこく、60年代の思想ばっかり取りざたされてます。)

 

 

そう思っていろいろ調べたんです。

 

ところが、

 

何も出てこない。

 

1950年代にきちんと原子力について考えていた哲学者というのは

 

全然いない。

 

いや、

実は一人だけいます。

 

それがハイデッガーです。

 

おそらく原子力の問題を特に技術の問題として正面から考えていたのは

 

ハイデッガーだけじゃないかと思います。

 

(他にもいたら教えてください。もちろん、最近はいますね。)

 

 

 

 

たとえばハイデッガーは1963年にこう言っています。

 

 

「たとえ原子エネルギーを管理することに成功したとしても、そのことが直ちに、人間が技術の主人になったということになるでしょうか? 断じてそうではありません。その管理の不可欠なことが、とりもなおさず〈立たせる力Macht des Stellens〉を証明しているのであり、〔…〕この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露しているのです」。

(ハイデッガー、「原子力時代と「人間性喪失」——小島威彦氏への手紙」、『読売新聞』1963年9月22日掲載、『KAWADE道の手帖 ハイデッガー』河出書房新社、165頁)

 

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核燃料はずっと冷やし続けないといけない。

 

福島第一原発の事故も要するに電源がなくなって冷却水を回せなくなったから起こったわけです。

 

人間はずっと

 

「水さえ循環させて冷やしておけば核エネルギーは俺たちのもんだ」

「こうして俺たちは原子力という地上の太陽を手なずけたのだ」

 

と思い込んでいた。

 

しかし、

 

まさしくハイデッガーが言っていることが起こった。

 

「その管理の不可欠なことが、この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露している」。

 

これこそ、

 

いま私たちが直面している事態であり、

 

また

 

実はずっと直面していたけれども目を背けていた事態に他なりません。

もちろん

上の発言だけではありません。

そうとう早い段階からハイデッガーは原子力について

しかもそれを技術の問題として考えていました。