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〈原子力の時代〉の哲学(2)

たとえ原子エネルギーを管理することに成功したとしても、そのことが直ちに、人間が技術の主人になったということになるのか? 断じてそうではない。その管理の不可欠なことが、この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露している。

(ハイデッガー、「原子力時代と「人間性喪失」——小島威彦氏への手紙」、『読売新聞』1963年9月22日掲載、『KAWADE道の手帖 ハイデッガー』河出書房新社、165頁)

 

 

俺はハイデッガーのこの指摘は極めて重要だと思ってます。

 

で、

 

この指摘の背景には、

 

ハイデッガーの技術論がある。

 

ハイデッガーは技術(テクネー)について

 

徹底的に考えた哲学者でした。

 

 

 

その議論は大変複雑なんですけど、

 

関口浩先生の素晴らしい翻訳で読める

 

『技術への問い』(1953年)を読むと

 

かなりその輪郭がつかめます。

 

技術への問い/マルティン ハイデッガー
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ギリシア語で真理のことをアレーテイアって言うんですけど、

 

この語は

 

「覆い隠されている」という意味の「レーテー」って語に

 

「ア」という否定の意味の接頭辞がついてできている。

 

で、ハイデッガーは古代ギリシヤ人たちにとって真理というのは

 

隠されていたものが顕わになることだと考えたんですね。

 

(で、ハイデッガーはアレーテイアのこの含意をドイツ語で表現しようとして、普通ならWahrheit(真理)って訳すところを、これをUnverborgenheit(隠されてないこと)って頑張って翻訳したりしてます。日本語ではこれは「不伏蔵性」とかって訳されたりします。)

 

さて、

 

ハイデッガーは技術(テクネー)も同じだって言うんです。

 

テクネーもまた

 

自然の中に隠されているものを

 

「こちらへと-前へと-もたらすHer-vor-bringen」ことにある、と。

 

 

 

ハイデッガーは普通なら「生み出す」とかって意味のHervorbringenって動詞の前綴りにハイフンを入れて(Her-vor-)を強調することで、

 

単に「生み出す」ってことじゃなくて(それだと人間がゼロから作るみたいなニュアンスがでてくるからか?)

 

隠されているものをこちらの方に持ってくることが技術(テクネー)なんだっていうんですね。

 

フランス語だとproductionという言葉をpro-ductionと表記して

 

これを翻訳してました。

 

「pro- 前へと」「ducere 導く」って感じです。

 

 

(でも、ちょっとこれだけだとよく分からないと思うんです。俺もよく分かりませんでした。しかし最近、別の本を読んだらよく分かった。それは後で紹介します。)

 

 

さて、重要なのはこの次です。

 

ハイデッガーは現代の技術が、このテクネーのあり方から逸れてしまっている

 

と言うんです。

 

現代技術は

 

自然に隠されたものを「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」

 

じゃなくて、

 

自然を「挑発するHerausfordern」ようになっている、と。

 

つまり

 

「おらおら、エネルギーだせ、こら」

 

みたいな調子で自然に人間が接しているということなんですね。

 

 

 

 

これもまた大変重要な指摘だとは思うんですが、

 

他方で、

 

じゃあ、自然を挑発しない技術ってどんなものなのでしょうか?

 

と考えた時、

 

ハイデッガーが言うことにはとても納得できない感じがするんですね。

 

というのも、彼は

 

風車ならいいって言うんです。

 

 

「この挑発は、エネルギーを、つまりエネルギーそのものとして掘り出され貯蔵されうるようなものを引き渡せという要求を自然にせまる。だが、このことは昔日の風車にも言えないだろうか? いや、そうは言えない。たしかに風車の羽根は風で回り、風の吹くのに直接身を委ねている。しかし、風車は貯蔵するために気流のエネルギーを開発したりしない。」

(ハイデッガー、「技術への問い」(1953年)、『技術への問い』平凡社、23頁)。

 

 

これはどうかなぁ

 

って思うわけです。

 

だって、いくらなんでも風車の時代には戻れませんし。

 

それにハイデッガーは石炭とかを利用するのも挑発だって言うんです。

 

 

「ある線引きされた地域は石炭や鉱石の採掘へと挑発される。」

 

 

やはりこれもうーんって思います。

このあたり、加藤尚武先生も論じてます。

 

ハイデガーの技術論/著者不明
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この辺りがハイデッガーの弱いところです。

 

ハイデッガーの理想って、

 

中世の田舎都市みたいな感じだろうって中沢新一先生は言ってます。

 

そうかもしれない。

 

すると、

 

彼の技術論をそのまま今の状況にもってきてもダメです。

 

 

 

 

とはいえ、

 

俺は「自然の挑発」という考えは

 

大切な考えだと思うんです。

 

というのも、

 

原子力技術というのは

 

まさしくそれではないかと思われるからです。

 

 

 

管理し続ければ支配できると思い込んでいた核エネルギー。

 

それは、

 

人間が自然を挑発して引き出した、

 

人間の手に負えないモンスターあるいは荒ぶる神のようなものではないでしょうか。

 

 

 

このモンスターはなかなか静まりません。

 

その威力が半減するのに

 

何万年もかかる。

 

人間はこれから何万年も

 

放射性廃棄物を管理しなければならなくなった。

 

 

 

 

そんな先には人間はたぶんいないでしょう。

 

 

 

 

因みに10万年前だと、

 

ネアンデルタール人とホモサピエンスが共存してました。

 

10万年後だと

 

ホモサピエンスとは別の種がでてきて

 

それが強くなってるかもしれませんね。

 

 

 

 

核廃棄物の処理については、

 

『100,000年後の安全』という映画が興味深いです。

 

フィンランドでは

 

科学者たちが10万年後の世界のことを考えながら、

 

地下に核廃棄物処理施設を作っている、

 

そのドキュメンタリーです。

 

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この映画では、

 

6万年後に氷河期がくるとか

 

ここに入ってはいけませんというメッセージをどうやって10万年後の人に伝えるのかとか

 

途方もないスケールのSFのようなことが

 

技術者や学者たちによって論じられています。

 

 

 

そしてそのような途方もないスケールのSFのようなことを考えなければならないのが、

 

原子力エネルギーを使うということなのです。

 

核廃棄物は必ず出るんで。

 

そしてこれは人間の手には負えません。

 

まさしくハイデッガーが言うように「無能」です。

 

 

 

そして映画で技術者も言っているように、

 

ウランだってそのうち枯渇するんだから、

 

原子力発電も結局は当座のしのぎでしかない。

 

その当座のしのぎのために、

 

人間はとんでもないものを手にしてしまったわけです。