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『暇と退屈の倫理学』発売、「ドゥルーズの哲学原理」連載開始、保育についてのエッセー

何度かお知らせしてきました

次著

『暇と退屈の倫理学』が

朝日出版社より今月発売されます。


暇と退屈の倫理学/國分 功一郎

¥1,890

Amazon.co.jp





10月18日発売です。

既にアマゾンでは予約を受付しています。


朝日出版社のブログ で

その一部を公開しております。


是非ご覧ください。




装丁は鈴木成一さんです。

鈴木さんは本当にじっくりとゲラ刷りを読んでくださり、

すばらしい表紙をつくってくださいました。

最近だと

宇野常寛さんの『リトルピープルの時代』のあのすばらしい表紙をデザインされた方ですね。

こんな有名な方に装丁を担当していただけるなどとは思ってもいませんでした。

鈴木さんはweb上の連載で『暇と退屈の倫理学』について言及してくださっています。

是非そちら もご覧ください。
(クリックするとAmazonに飛びますので、右側の〝WEB文芸誌マトグロッソ 「西村賢太、日記を書く」〟というバナーをクリックしてください。下にスクロールすると「鈴木成一 装丁を語る」という項目があります。その中です)。





表紙には写真が使われています。

勝又邦彦さんの写真です。

(勝又さんの作品の一部はこちら にあります。是非ご覧ください。)


写真の下部

遠くにうっすらと東京の町が見える、とても不思議なすばらしい写真です。

そこにバーン!と赤い箔押しで文字が入っています。

すばらしくカッコイイです!





さて、この本は、本当に構想だけなら

10年ぐらいかかっています。

思いついたのはもうちょっと前かも知れません。

そういうことを言うと、

根気強く一つの問題を探求してきた

みたいに聞こえてしまうかもしれないのですが、

別にそういうわけではなくて、

博論(『スピノザの方法』)とか

他の仕事の片手間にちょくちょく調べたり考えたりしてきたので

それぐらいかかってしまったということなんです。



しかし、

暇とか退屈とかのテーマで

哲学的に論じた本というのはそんなにないので、

「あ!これも関係ある!」「なるほどここにもヒントが!」

というのをずっと続けてきたという感じです。



「暇と退屈」という言葉があると

ゆっくりのんびりこの人生を生きていこうよ

って主張した本みたいに誤解されることがあるのですが、

そういう本ではありません。



何をしてもよいのに、何をしていいのか分からない。

こういう気持ちは多くの人が一度ぐらいは感じがことがあるのではないかと思います。

実はこの気持ちには強い根拠があります。

そして、

この気持ちは大変深刻な帰結をもたらすことがあり得ます。

それを真っ正面から論じたのがこの本です。

いろいろな学問分野の成果

すなわち、

哲学はもちろんですが、

文学、歴史学、政治学、経済学、考古学、生物学などなど

いろいろな学問分野の成果を参考にしながら、

この気持ちを論じています。



この本は学術書ではありません。

いわば、

長めのエッセーです。



俺にとって

「何をしてもよいのに、何をしていいのか分からない」

という気持ちは深刻な問題でした。

だからそれについていろいろ考えてみて

こんな結論を出しました。

皆さんはどうお考えになるでしょうか…

そういう風な問いかけをしている本です。



ですから、

読者の皆さんのご感想やご意見を是非とも聞かせていただきたいと思っています。

そうしてみんなで協力し合いながら、

一人一人の〈暇と退屈の倫理学〉を作り上げていく

——そういうことを考えています。



別にこれから学術書を出さないというわけではありませんが、

こういうタイプの本もあってもよいと思うのです。

学術書というのは決定的なテーゼをだしているとみなされますので、

間違っている/正しいという裁定が下されるだけです。

そういう本は必要ですし、そういう厳しい作業がなければ知の進歩は望めないのかもしれません。

でも、そうじゃない本もあっていい。

そう思っています。





さて、

学術書としてまとめるのを目指す仕事も

この本の出版と同時に開始します。

ジル・ドゥルーズについての連載です。

その第一回が

岩波書店『思想』11月号(2011年10月25日発売)に掲載されます。

「ドゥルーズの哲学原理」というタイトルです。




ドゥルーズについてはいくつか論文を書いてきました。

主なものをちょっとまとめておくと…
——「無人島と砂漠——ジル・ドゥルーズ「無人島、その原因と理由」から出発して」、『批評空間』、批評空間社、第III期四号、2002年7月、205~222ページ。
——「総合的方法の諸問題——ドゥルーズとスピノザ」、『思想』、岩波書店、九五〇号、2003年6月、109~129ページ。
——「特異性、出来事、共可能性——ライプニッツとドゥルーズ」(一)・(二)、『情況』、情況出版、第三期第五巻第七号・第八号(分載)、2004年7・8月、128~157ページ・224~237ページ。
——「超越論性と抽象性——ドゥルーズ哲学の中のブランショ」、『思想』、岩波書店、第九九九号、2007年7月、21~47ページ。
——「自然主義者の運命——シュトラウス、ドゥルーズ」、『思想』、岩波書店、第一〇一四号、2008年10月、339~365ページ。
——「訳者解説」、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』、國分功一郎訳、ちくま学芸文庫、2008年1月、187~235ページ。
——「欲望と権力——ドゥルーズの「逆説的保守主義」を巡って」、『表象』、月曜社、04号、2010年3月、140~152ページ。


翻訳もさせてもらいました。

カントの批判哲学 (ちくま学芸文庫)/ジル ドゥルーズ

¥924

Amazon.co.jp






ですが、これまで俺が書いてきたドゥルーズ論はどれも

誰かとドゥルーズを比較したり、

あるいはドゥルーズの中の一部の論点を論じたものだったので、

ドゥルーズの哲学全体を正面から論じたものはありません。

今回はそれに挑戦したいと思っています。

そういうわけで

「ドゥルーズの哲学原理」という大それたタイトルにしました。

頑張ります。






あと今月は

文芸誌の『新潮』11月号 にエッセーを寄稿しています。

「思想としての保育」というタイトルです。


哲学・思想の分野はこれまで全くと言ってよいほど

保育という領域について語ってきませんでした。

〈父〉がどうしたとか言ったことはさんざん語ってきているのに

これはおかしなことです。



「思想家」や「哲学者」たちはなぜ保育に関心をもたなかったのでしょうか?

まぁ、おそらく、誰かに任せていたからでしょうね。



それなのに

〈父〉がどうしたとか言っているのを聞くと、

ちょっと腹が立ちますね。




これまでにもこのブログで何度か保育園および日本の保育園が現在直面している危機について書いてきました。

経済成長と保育園

競争概念の内在的批判

15回徹底、想像力の欠如、9月始まりの提案、なぜこんな時期に授業をやることが間違っているのか?



文科省は保育園制度を抜本的に改革する「新制度」を導入しようとしています。

これは非常に大きな問題を抱えています。

エッセーではそれも紹介しました。


保育園についていま本を準備しています。

今回のエッセーはその素描のようなものです。

是非ご覧ください。