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basic income : sit down money

ちょっと前に

友人とベーシック・インカムについて話をする機会があったんですが、

そいつは

ああいうものがもし導入されたら人間はゴミ化するんじゃないか

と言っていました。

俺はベーシック・インカムについては素人なんで詳しくは知りませんが、

正直言って、

同じように考えます。

素人だというのは、あんまり関心がないということでもあります。

働きたくても働けないひとがたくさんいる。

俺が保育園に関心をもってるのは、自分が娘を通わせているということもあるけど、

働きたい人のためのインフラとしてこれが極めて重要だと思っているからなんですね。

働かなくても生きていける制度より、働きたいのに働けない人を助ける制度を考える方が先じゃないだろうか。

だから、ベーシック・インカムについては関心を持てないんですね。

前期の終わり、高崎経済大学で一年生とやっているゼミで、ミルトン・フリードマンについての発表がありました。

フリードマンというと「市場原理主義者」というレッテルで、特に二〇〇八年金融危機以降、猛烈に批判されている人の一人ですね。

現在の新自由主義のイデオローグとしてよく知られ、したがって、左翼系から猛烈に嫌われています。

ところでこのフリードマンという人は、負の所得税という構想を持っていました。

所得が一定額に達しない場合は、負の所得税として政府からお金をもらえるというものですね。

その分、社会保障とかは全然しないという考えらしいです。

これはベーシック・インカムにそっくりなんですね。

(間違っていたら誰か教えてください。むしろ間違いを指摘されて俺の考えと知識が進むことを期待しています。)

ベーシック・インカムについて積極的な人たちは、フリードマンみたいな「市場原理主義者」を嫌いますけれど、そのフリードマンが同じようなことを言っている。

ベーシック・インカムが実現したら、それこそ、新自由主義の完成なんじゃないでしょうか。

小泉が新自由主義的政策を実現し、そして去っていった後に、ベーシック・インカムについての議論が盛り上がる、しかも彼に敵対する勢力の中から盛り上がるというのは、

歴史の狡知としか言いようがない。

これは博論とは別に用意している書き下ろしの本で論じていることなんで、それが出版されてから改めて論じたいと思いますが、

ベーシック・インカムについて俺が一番気になるのは、

働かないでお金がもらえて生きていけるとして、

じゃあ人々はそのときいったい何をするのか?

ということなんです。

時間があり余っているときにやることがある人間なんてほとんどいません。

誰も余暇の生き方なんて知らない。

だから文化産業とかがあるわけです。

「お前らはこんな映画でもみてテキトーに涙でも流してろ」

って感じです。

そういう状態が恒常的に続いて人間は生きていけるのか。

そもそも

ベーシック・インカムを推奨する人の中には高額所得者がけっこういますけど、

彼らの発想って

「お前らが働いてもたいして価値生まないから、なんもしなくていいよ。金やるから生きておけ。」

って感じです。

そういう状態が恒常的に続いて人間は生きていけるのか。

荒廃するに決まってる。

オーストラリアのアボリジニーの貧困対策として、政府がお金を配っていたんですね。

で、それは、何もしないでも座っているだけでもらえるお金ということで

sit down money

と侮蔑的に呼ばれていました。

そして、このお金は彼らの生活向上に何の役にも立たなかった。

ベーシック・インカムもsit down moneyじゃないですか?

働くことという論点に絞って言えば、日本ではいま、保育園の直接契約というすごい改革が行われようとしている。

そこには言及しないでsit down moneyを盛んに論じるというのはなんか倒錯している気がします。

間違っていたら誰か教えてください。