プレビューモード

[卒業論文]ライプニッツと世界の再構築① 序 章

序 章  理論と現実
第一章 ライプニッツにおける個体
 個体と可能世界/クリプキの固有名論/モナドと特異性
第二章 ライプニッツにおける出来事
 述語は主語に内在する/出来事と特異性
第三章 ライプニッツにおける系列
 系列/共可能性/事後的抽象、遡行的視線
第四章 ライプニッツにおける最善の世界
 予定調和と自由の問題/最善の世界
終 章  ライプニッツと多様性

 

序 章

 

 「理論と現実」という区別は支配的だ。そしてこの区別は哲学に対して手厳しい。それはしばしば次のように結論する、哲学は、あくまで理論であって、現実に対しては何らの力を持たない、と。

 マルクス主義者ならこれに反論するかもしれない。例えば、レーニンは『何をなすべきか?』のなかで、「理論なしには、革命的行動はあり得ない」と言った。しかし、この言から、やすやすと、哲学は現実を変革する力をもつ、などと結論すべきだろうか。宗教、国家、資本主義、科学、法律、世論、テレビは力を持つが、しかし、哲学は、それらが有するような力を持たない。おそらく、あのナイーヴな区別が導いた結論は、間違ってはいないのだ。実際、レーニンがここで理論の名の下に検討しているのは、1902年におけるロシア社会民主党の組織方法とその目標であり、それは哲学的な理論ではなくて、世論をひきつけるための宗教的な教義である。

 《哲学は力を持たない》(1)。しかし、これは哲学が現実と無関係だ、という意味ではない。哲学は現実と無関係ではあり得ない。哲学は現実とかかわらざるを得ないのだ。プラトンの極めて形而上学的な諸々の主張――例えば、イデア論や想起説は、当時のポリスの政治的腐敗と無関係と言えるだろうか。当時の状況に対して彼が提起した哲人支配の論理はイデア論や想起説を前提している。プラトニズムは、プラトンの目の前で展開されていた現実と無関係ではない。

 では、社会思想史という形で哲学を語るべきなのだろうか。確かに、いわゆる社会思想史的なアプローチは「現実と理論」というナイーヴな対立に対して、より敏感ではあるだろう。しかしそれは、ある思想を、理論的に詰めることなく、政治的・社会的背景に還元してしまうのである。社会思想史的な手法はやはり直線的な歴史の展開・発展を信じている。よって、かつて否定された哲学・思想の無意識的回帰を見逃してしまう。例えば、アイデンティティーを巡る近年の議論の大半は、疎外論をなぞっているに過ぎないし、現代のナショナリストたちの多くが、無意識のうちにフィヒテ的なロマン派の議論を反復している。しかし、社会思想史は、過去のテクストを、やはり過去のテクストとして扱うのである。

 それにまた、社会思想史的な視点からは、かつて否定された哲学・思想のテクストを、そこに秘められた可能性の復権を目指して読み直すという作業も生まれて来ない。杜撰な形での受容であったとはいえナチスによって悪用され、戦後は一時期それを読むことすら憚られたニーチェが、その後、戦後を代表する思想家たち――ジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズら――に多大な影響を与えたということは周知の事実である。社会思想史的な視点からでは、彼らの試みは生まれては来ない。彼らはテクストを――「扱う」のではなくて――「読む」ことで、そのテクストが潜在させている可能性を引き出し、その作家に新たな光を当てようとした。

 私はライプニッツをテクストを、彼が直面していた時代状況に還元するつもりはない。だから、この小論の展開部においては、歴史的なことについては一切触れない。この小論の目的は、あくまで、ライプニッツのテクストを「読む」ことにあるのであって、それを社会思想史上の一事実として「扱う」ことにあるのではないからだ。しかし、私は、ライプニッツが直面していた時代状況を無視するつもりもない。というのも、私はライプニッツの動機に強い関心を抱いているからである。

 《ヨーロッパを眺めると、まずひとつの傷口が目についた。宗教改革以来、精神的な統一が破られてしまったことである。住民は敵対する二つの党派に別れていた。この兄弟喧嘩では戦争と迫害と激論と罵詈雑言が日常茶飯事になっていた。調和を夢見る者にとっては、ますます悪化するこの病をいやすことが第一の課題だった》(2)。ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは、1646年7月1日、ライプツィヒで生まれた。この年は、ヨーロッパの最後にして最大の宗教戦争であるところの30年戦争の終結の2年前である。神聖ローマ皇帝とドイツ諸侯(特に新教徒)、ハプスブルグ家とフランスのブルボン家との対立を主軸とした全ヨーロッパ的な戦乱の惨禍はいまさらここで記述するまでもないだろう。収穫が焼かれ、村々が略奪にあい、農民たちが処刑され、いたるところ火の海、血の海。とりわけドイツの惨状はひどく、当時の記録によれば、人口は四分の三に減り、家畜、財貨、農業の被害は甚大なものであり、大多数の商業の中心地が滅んだという(3)。もちろん当時の記録には誇張があるのだろうが、しかし、それが未曾有の災厄であったことは間違いない。

 このように物質的にも精神的にも荒廃したヨーロッパに対し、ライプニッツは、サルトルの言うところのオム・アンガジェ homme engagé として活動し始めた。よく知られた新旧両教会の合同計画の実現のために奔走したのである(4)。《和解の事業にライプニッツは全力をあげてはせさんじた。彼は両派の主張を知っていた。宗教論争の本には昔からなじんでおり、それが総じてがらくたにすぎないことも知っていた》(5)。ライプニッツは、この戦争で荒廃したヨーロッパの再構築を、自らの最も大きな課題の一つとして考えていたのである。

 ならば、彼の思想・哲学も、このような当時の現実、政治的・宗教的状況と無関係ではあり得ない。私が彼に関心をもったのも、彼がそのような極めて緊迫した政治的状況に身をおきつつ思考しており、しかも、その政治的状況が今日の、20世紀末の政治的状況に極めて類似しているからであった。冷戦が終わり、今まで宙づりにされていた微視的なレベルでの政治的対立が、民族紛争という形で噴出している。とりわけ旧ユーゴスラヴィアでの民族対立が、エスニック・クレンジング等の前代未聞の惨劇をもたらしたことは記憶に新しい。しかし、これら冷戦後の諸々の政治的対立に対し、我々は何らの解決策も、展望も提出できずにいる。

 《バロックそのものが、すでに神学的理性の危機をあらわしていた。つまり、バロックとは、崩壊しつつある世界を再構築する最後の試みだったのです》(6)。ジル・ドゥルーズはバロックの哲学者ライプニッツについてのインタヴューのなかでこう語った。私は、このバロックの哲学者の抱いていた動機に強い関心を抱いている。我々は、同じく《崩壊しつつある世界》を生きるものとして、ライプニッツの思想を何らかの参考にできるかもしれない。約三百年前に同じ問題に衝突した哲学者の思想を反復することが、我々に何らかの展望をもたらすかもしれない。ライプニッツの目指した「再構築」とはいったい何だったのか? ライプニッツはいかなる世界をイメージしていたのか? それが差し当たっての問題である。

 


(1)Gilles Deleuze, Pourparlers, les Editions de minuit, 1990, P7(『記号と事件』、宮林寛 訳、河出書房新社、1992、p.5)
(2)ポール・アザール、『ヨーロッパ精神の危機』(野沢協 訳)、法政大学出版局、
1973、p.274
(3)世界の名著『スピノザ・ライプニッツ』、中央公論社、下村寅太郎氏の「解説」を参照。
(4)教会合同計画については、ライプニッツとボシュエ Jacques Benigne Bossuet との往復書簡の分析を下に、周到にこれを解説した次の論文を参照のこと。福島清紀「ライプニッツとボシュエ~教会合同の試みの一断面~」(1)(2)(3)in『法政大学教養部紀要』1987年1月号、88年1月号、89年2月号。
(5)『ヨーロッパ精神の危機』、p.275
(6)ジル・ドゥルーズ、『記号と事件』、河出書房新社、1996、p.269。