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Metsu

アムステルダムについた次の日は、市内にあるライクス・ミュージアム(Rijksmuseum)に行きました。

小さな美術館ですが、

レンブラントの「夜警」「アムステルダムの布地ギルドの見本監察官たち」とか、フェルメールの 「牛乳を注ぐ女」「手紙を読む青衣の女」「小路」「恋文」など、有名な絵がたくさんあります。

今回は何も調べないで現地に行き、

またこの美術館にいったのも適当にあるいてぶつかったからというだけだったので、

ああ、そういえばここにこんな有名なのがいろいろあったんだ

感激。

特に

俺のスピノザ論が出版される際の表紙になる絵画もここに収められており

感激(絵はがきを購入)。

ですが

それ以上に

「ああ、これがここに!」

という絵がありました。

ハブリエル・メツー(Gabriel Metsu)という一七世紀オランダの画家のSick Childという絵です。

Philosophy Sells...But Who's Buying?

邦題が分からないのですが、「病気のこども」とかでしょうか。

この絵のことを知ったのは、

フランソワ・ズーラビクヴィリという研究者のスピノザ論を読んでのことです。

2000年にフランスに留学した時、

先生はエチエンヌ・バリバールという人だったんですが、

彼がちょうど審査したばかりのズーラの博論を貸してくれたんです。

ズーラは修論のとき、バリバールのところで学んでいたそうです。

ものすごい分厚くて(確か8センチぐらい)

持って帰るのが大変だったんですが

ものすごい内容でした(といっても全部は読んでない!)。

タイトルは確か

"L'idée de transformation dans la philosophie de Spinoza"

「スピノザ哲学における変身の観念」

です。

この人は前から名前を知っていて

というのも、すばらしいドゥルーズ論を出版していたからです。

「一つの出来事の哲学」

というもので邦訳もあります。

因みに、

ドゥルーズのスピノザ論は『スピノザと表現の問題』というタイトルですが

最初に博士論文の副論文として提出されたときのタイトルは

"L'idée d'expression dans la philsophie de Spinoza"

「スピノザ哲学における表現の観念」

というものでした。

ズーラはそれをちょっとまねしたんでしょうね。

話はもどりますが、このズーラの博論の中では「こども」が一つのテーマとして出てきます。

こどもが大人へと変化していく存在であるのなら、それはまさしく変身の問題圏に入ってくるだろうけれど、

ズーラが強調しているのは

スピノザ哲学は、こどもを何らかの欠如

——知性とか力とか知恵とかの欠如——

によって捉えることを拒否している点なんですね。

ここは俺もまだ十分に説明できるところまで理解が進んでいないのですが、

俺自身にとっても

こどもというのは重要な関心の対象なので

是非、今後

探求したいと思います。

こんど出版される俺のスピノザ論は

スピノザ哲学の〝基礎論〟みたいなもので

どういうふうにスピノザ哲学を理論的に位置づけて読めばよいかを扱っており

『エチカ』の細かい内容には踏み込んでいないんです。

ですから、あれが出たら、またスピノザを、

今度は詳しく『エチカ』の内容をやります。

また話が逸れました。

ズーラはこのメツーの絵が

スピノザ哲学におけるこどもの形象を

見事に描き出していて

「スピノザ哲学がこの絵をコメントし

この絵がスピノザ哲学をコメントしているようだ」

とまで言うんですね。

そこから、当時のオランダにおけるこどもの位置づけとか

哲学史におけるこどもの扱いとか

そういうのを細かく検証しています。

ほんとにすごい博論です。

残念ながらあの博論は

そのまま出版されることはかなわず

二冊にわけて出版されました。

Spinoza : Une physique de la pensée

スピノザ:思考の物理学


Le Conservatisme paradoxal de Spinoza : Enfance et royauté

スピノザの逆説的保守主義:こども時代と王政

の二冊です。

「なんだよPUF、そのまま出版しろよ」

って当時すごく思いました。

因みに

昨年の表象学会で

「ドゥルーズの逆説的保守主義」というパネル をやり

『表象』という雑誌の第4号 でも同名の小特集を組みましたが

これはズーラへのオマージュとして行ったものです。

さて、俺はズーラとは個人的な思い出があります。

最初に会ったのは

1997年にストラスブールに留学した時。

彼が、とある授業のコメンテーターでわざわざストラスブールまで来たんですね。

俺は彼のドゥルーズ論の邦訳でその名を知ったので、彼に

「あなたの本を邦訳で読みました」

と言いました。

すると

「ええ! 日本語に翻訳されてるの?!」

ズーラ驚愕。

「聞いてない。聞いてない。」

その後、連絡先を教えてもらう。

で、

日本から彼の本を送ってもらって(確か、この前『図書新聞』で対談した阿部君に送ってもらった)

彼に届けたところ

ズーラ大感激。

「本当にありがとう。本当にありがとう。」

手紙もくれました。

なんか、彼が自分専用につくった封筒と便箋だったので、

それがすごくかっこよかったのを覚えています。

彼はまだ院生のような立場でしたが

「院生でもこんなかっこいい便箋を用意したりするのかぁ」と

感心した次第。

その後、俺は一度日本に帰りましたが、

またパリに、今度は長く留学してたときも

彼が映画のコメンタリーをやるというので観に行ったことがありました。

まぁ、そのコメンタリーは普通だったかな。

ちょっとメールのやりとりなんかもあった。

俺は2005年に帰国。

確か、2005年の夏に一度メールをやりとりしました。

帰国してしばらくたったある日

パリでドゥルーズ研究やってる韓国人の友人から連絡があり

電話したら、

「ズーラが自殺した」

と伝えられました。

深いつきあいだったのではないので、

詳しいことは分かりません。

ただとても残念でした。

パリの国際哲学院(College Internationale de Philosophie)ではその後、

彼の仕事を回顧するセミナーも開かれています。