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[卒業論文]ライプニッツと世界の再構築⑥ 終 章

終 章 ライプニッツと多様性

 

 クリプキ、ストア派、ホワイトヘッド、ベルクソン、ドゥルーズらの力を借りて、この小論のなかで探求して来たライプニッツの姿とはいかなるものであろうか?

 それは、多様性multiplicitéを追求した哲学者の姿である。

 

 すぐさまこの言を補足しなければならない。「多様性」は、昨今、異口同音にその重要性が唱えられている言葉であり、我々はそれをここかしこで耳にする。であればこそ、我々は、それが通俗的な意味の谷間へと滑り落ちていってしまう前に、この言葉を括弧に括って、その意味をとりあえず宙づりにしておかねばならない。そしてその上で、ライプニッツが求めた「多様性」とは何であったかを再確認せねばならない。

 「多様性」という言葉をここまで注意深く扱わなければならないのは、現在、次のような議論が主に政治学を中心として勢力を握ってきているからである。

 

 《こうして我々は、今日しばしば議論される形の多文化主義の問題へと導かれる。それは、ある文化の他の文化への押しつけ、この押しつけを助長する優越性の想定におおいに関係するものである。西洋の自由主義社会はこの点で、きわめて罪深いと考えられているが、その理由は一部には過去の植民地主義にあり、そしてその一部には、彼らの住民のうち他の文化に根を持つ人々を疎外するということにある。「これがここでの我々のやり方である」という返答が、粗野で無神経に思われうるのは、まさにこの脈絡においてなのである。たとえ、物事の性格上、この点――殺人を禁じるか許容するか――においては、妥協がほとんど不可能であるとしても、上記の返答から推定されるのは、軽蔑の姿勢であると思われる。実際しばしば、この推定は正しいのである。こうして我々は、再び、承認の問題に導かれるのである。
 前節では、価値の平等性の承認は――少なくとも強い意味においては――問題にならなかった。そこで問題となったのは、文化的存続が正当な目標として認められるかどうかということ、集団的目標の考慮が、司法審査において、あるいは主要な社会政策の他の諸目的にとって、正当なものとして許容されるかどうかということであった。そこでの要求は、諸文化が自らを守ることを然るべき範囲内で認めるというものであった。しかしここで我々が目にしている要求は、我々がみな、多様な諸文化の価値の平等性を認めるということ、それらの存続を認めるだけでなく、その価値を認めるということである。
 この要求はいかなる意味を持ちうるであろうか。この要求はある意味において明確な形をとらないまま、しばらく前から作用してきたものである。ナショナリズムをめぐる政治に一世紀以上にわたって力を与えてきたのは、一部には、人々が周囲の他者から受ける軽蔑あるいは尊敬について持つ感覚である。他民族社会が崩壊しうるのは、大部分、ある集団が他の集団に対して、価値の平等性の承認を与えていない(与えていると認識されていない)からである。》(チャールズ・テイラー「承認をめぐる政治」)(1)

 

 上の引用に代表されるような仕方で議論する論者たちは、多文化主義multiculturalismなる主張によって「多様性」を確保しようと努力している。しかし、上の引用文の中で、「多様な」という形容詞は空虚に聞こえる。この議論には個にたいするまなざしが欠如しているからである。それは、「多様な文化の承認」を吹聴する一方で、それぞれの文化の強固さ、等質性を保証してしまっている。もしも、彼らが「個の尊重」などと言い出しても同じことだ。固有名で名指されるような特異的な個体――すなわちライプニッツがモナドと呼んだもの――への視線の欠如は決定的欠陥である。

 この種の議論が個体への視線を全く欠いているのは、それが属性とコプラのシェーマの上でしか展開されていないからである。これが政治的にいかなる意味を持ち得るかは既に分析がなされていることだ。一元的な価値を強制し「多様性」を抹殺した「オリエンタリズム」を告発したエドワード・サイードは、オリエンタリズムという言説は、属性とコプラに支配された視点によって機能するということを指摘している。

 

 《オリエント――その異質性、遠隔性、エキゾチックな官能性など――と結び付けられた比喩的表現をひとつひとつ列挙してみるまでもなく、我々は、ルネッサンスを通じて伝達されてきたそれらの表現の特徴を一般化してやることが可能である。それらはすべて、断定的で自明のものである。用いられる時制は、時間を超越した永遠である。それらは反復と強調を印象づける。それらつねに、ヨーロッパにおける特定ないし不特定の対応物とシンメトリカルな関係にあるが、同時にそれよりも劣っている。こうした機能すべてを発揮させるためには、たいていの場合、「~である(is)」という単純きわまりないコプラを用いれば十分である。》(2)

 

 「彼らは~である」というコプラと属性の思考こそが、多様性の指標としての個を見失わせる。だから、個を無視して展開される多様性の主張は、たやすく一様性・等質性への要求に反転するだろう。彼らはこう反論するかもしれない、今の現実の中ではまずは何よりも文化の多様性を認め合うことこそが緊急課題である、と。しかし、彼らがそう反論したとしても同じことだ。原理的にコプラと属性というシェーマに支配されている思考は、どうあっても多様性としての個を認めるには至らない。

 ライプニッツの思考は、このようなコプラと属性という支配的シェーマに反抗しうるものだ。彼は《述語すなわち出来事》と言い、述語を属詞から解放し、それに動詞・出来事の価値を与えた。また、それとともに、主語/主体の概念も変質している。ライプニッツの言う主語/主体は《述語すなわち出来事》を含んでおり、《述語すなわち出来事》こそが主語/主体の特異性を構成する。つまりある一つの個体という一つの特異性が、《述語すなわち出来事》によって要請される。彼は、「~である」/存在(etre)ではなく、「~になる」/生成変化(devenir)で個体を捉えているのである。それに伴い変容する世界のイメージは、もはや、世界というフィールドが存在していてその中に主体という存在が投げ込まれているというハイデッガー的なそれではない。ライプニッツ的な世界のイメージとは、モナドが含む出来事のセリーの総体が世界を構成しているというものだ。

 

 教会合同――それは結局は失敗に終わったのだが――を画策したライプニッツの目には、一元的な価値を押し付け合っている新旧教会同士の対立は無意味なものとして映っていた。《ライプニッツはルター派だったが、自分でも見事に言っているように、合同という聖業のためにはことさら「対立点を浮き彫りにする」気はなかった。……相違点は本質的なものではないこと、逆に類似点が山ほどあり、両者が全く瓜二つであることを示した上で、信仰の最も深い、最も単純な形に全員の賛同を得ればよかった》(3)。彼にとっては、対立する新旧教会が、自らの領域を堅固に保持しつつ、相互にその価値を認め合うという展望はばかばかしいものであっただろう。もっとも単純な形での賛同が得られさえすればよかった。彼にとっては多様性としても個こそが問題であったからだ。教会合同の計画は、そのための下地、出発点に過ぎない。

 ライプニッツは政治的な問題を考えるにあたって、哲学の原理的な地点にまで遡行して問題を再構成したのである。それは徹底している。彼は、ある哲学の欠点は、それが政治的に実現されたときに最も先鋭的な形で現れるということに恐らく気づいていたのである。哲学的テクストを読むに当たっては、その政治的な実現を考えない訳にはいかないし、現実の政治を考える際には、その現実を支える哲学上の原理の問題を考えない訳にはいかない。ある思想がいかに「多様性」という言葉を積み重ねていようとも、原理的なところで一元論になっていれば、それは政治的に実現されれば独裁制になるだろう。個の多様性の問題が無視されていれば、たとえ「多様性」という言葉をスローガンに掲げていようとも多様性など実現されないだろう。ライプニッツはこのことを承知していた。現実の政治への鋭敏な洞察と、哲学的な原理への徹底した考察とを同時に行うライプニッツの機動力、身軽さは、その意識を示すものだ。

 現実の政治に対して軽佻浮薄に「多様性」を提唱する論者に欠けているのは、ライプニッツのこの態度である。我々は、ライプニッツの考えた様々な哲学上の概念――可能世界、出来事、モナド、系列、最善の世界等々――を再考するとともに、彼の現実の政治に対する態度――あの身軽さ、徹底して軽快なフットワークに注目すべきである。それはおそらく、グランドセオリーへの全面的依拠を期待できなくなった時代、主義というものが失効した時代、大きな物語が死した時代の中で、現実の世界を考える際に要求される態度なのである。

 


(1)『マルチカルチュラリズム』(佐々木毅 他 訳)、岩波書店、1996、p.87
(2)『オリエンタリズム』(板垣雄三 他 訳)、平凡社、上巻p.167
(3)ポール・アザール、『ヨーロッパ精神の危機』(野沢協 訳)、法政大学出版会、p.275

 

序 章  理論と現実
第一章 ライプニッツにおける個体
 個体と可能世界/クリプキの固有名論/モナドと特異性
第二章 ライプニッツにおける出来事
 述語は主語に内在する/出来事と特異性
第三章 ライプニッツにおける系列
 系列/共可能性/事後的抽象、遡行的視線
第四章 ライプニッツにおける最善の世界
 予定調和と自由の問題/最善の世界
終 章  ライプニッツと多様性