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【時評】自分で考えること:法相更迭のニュースを見ながら

一昨日の報道ステーションで、法相が失言で更迭の話について、「安倍政権時代は、政権の評価はともかくとして、菅が政権を守っていて、これは持ち堪えられないという事象については即座に判断を下していたから、今回のような発言をした法相の更迭判断が日を跨ぐことなどなかった」という趣旨の話をしていたが、全く理解できない。安倍政権時代だったら、死刑を笑い事にするような発言も、「時間が経ったらみんな忘れるだろ」という”判断”で、「批判は当たらない」論法によって誤魔化してただろう。辞めさせただけマシ。まずこれが第一の論点。
 次、その政治部記者のコメントに対し、サブアナウンサーが、ただ不安げな顔をして、「これで国会を乗り切れるんでしょうか?」と完全マト外れコメント。お前は何を心配しているんだ。政治がきちんと機能して国民生活が安定することを心配するんだよ。政権がうまくやれるかどうかの問題じゃないだろ。「そんな政権でいまの危機を乗り越えられるんでしょうか」って言葉がなぜ出てこないのか。
 そう、なぜ出てこないのか。自分で考えていないからだ。
 政治部記者は単に政権の打たれ強さを問題にしたかったのだろう。それはそれでアリだ。この場合、その場ではこのコメントは政権そのものを心配しているような話に聞こえる。さて、そのようなコメントを受けた時、もしも自分で考える人間なら、「このコメントは政権の打たれ強さだけに焦点を絞ったものであり、一方で、その観点のもつ意味は分かるし、ニュースにおいては重要だ。だが、他方で、それは政権のことを心配する観点であるから、本来の国民生活の観点から、今回の更迭事件について考えないといけないはずで、その観点から自分は質問をしなくては」と瞬時に判断して、受け答えをするはずである。
ところが、その人物は、政権の打たれ強さを心配するというコメントの観点を受け取ることしかできず、そしてそこから自分で何も考えず、「それで大丈夫なんでしょうか」という全く意味のない質問をした。
 「自分で考える」とよく言うが、この無意味なやりとりを見て、「自分で考えていない」ことを例証する一つの判例的な事例だと思った。ならば、さらに話を進められよう。なぜこのサブアナウンサーは、「あ、この観点は、それはそれで意味あるけど、政治は本来は国民のためにあるものだから…」みたいな判断が瞬時に働かないかというと、その判断の基礎になる思想がないからだろう。「政治とは…」という思想がないから、その場では投げかけられた雰囲気に乗ることになってしまうのだろう。無思想の問題。
当たり前だが、別に深刻な顔をして不安げならば何かを考えているというわけではない。
これが二つ目の論点。
 三つ目。ネトウヨの巣窟であったニュース番組が終わるらしい。安倍晋三の死後、本当に事態が動いていると感じる。
・オリンピック利権構造への検察の追求。
・警察庁長官中村格の辞職(氏のwikiおよびそこで紹介されているFigaroの記事は読み応えあり)。
・統一教会問題の追及。
俺には今回の更迭事件も変化の一つに見える。
他にもあるだろうが、いま思いついたのだけをメモのために書いた。
 ナチ政権下ではチンピラみたいなのがのさばったという(戦時下の日本についても丸山眞男が同じようなことを指摘している)。彼らのやる差別・暴力行為を政権は特に非難もせず黙認しているのだから、こういう輩が政権から事実上の支持を得る。安倍政権でも全く同じことが起こった。ヘイトスピーチや差別を政権側がなんとも思っていないから積極的に避難しない。だから、チンピラのような連中が政権からの事実上の支持を得る。そうした連中がヘイト本増加、ヘイト番組・サイト・コンテンツ増加の雰囲気を作り出した。国葬シンポジウムでも言ったが、安倍政権とは「不良」まがいの連中によるモラルの破壊以外のなにものでもなかった。しかも安倍政権は、日本の大衆社会に、「やっちゃえ、やっちゃえ」という仕方で「不良」的なものを肯定する雰囲気があることも無意識的に分かっていて、これを悪用した。
 私はこの戦後最悪(と、それなりに政治を勉強してきた者として思う)の政権によるモラルの破壊が、いまほんの少しずつだが修復されていっているのではないかと感じている。甘いと言われそうだが、これは私の実感である。
 この勢いで、安倍政権下で国民的モラルの低下に全面的に寄与していたテレビのコメンテーターたちの地位にも影響があることを望む。