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映像の哲学 第1回

共謀する能力

 -『猿の惑星 ジェネシス』の吊橋のシーン-


 人間は地球上の生物の中で間違いなく頂点に君臨している。もちろんそれは人間が立派であることを意味しているのではなくて、単に他の諸存在よりも「強い」ということを意味しているに過ぎない。ではこの強さとは何か。実際には腕力や俊敏性などで人間を遥かに凌駕する生物はたくさんいる。その点に注目した『ヒトは食べられて進化した』(ドナ・ハート+ロバート・W・サスマン著、伊藤伸子訳、化学同人、2007年)という本まであるほどだ。だが、少なくとも現在、人間は他のいかなる生物よりも強い。その強さはいったい何に依拠しているのか。

 この点を考える上で大変興味深いシーンが映画『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(ルパート・ワイアット監督、アメリカ、2011年)にある。この映画はチャールトン・ヘストンが主演した有名な『猿の惑星』(フランクリン・J・シャフナー監督、アメリカ、1968年)のリメイクである。『猿の惑星』は地球が猿に支配された世界を描いているのだから、人間の強さを考えるにあたって、この映画を参考にしても面白くないと思われるかもしれない。しかしそうではない。そもそも、チャールトン・ヘストンが出演していた方はこの問題を考える上ではたいして役に立たない。

 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』では、いかにして猿が世界を支配するにいたったかが描かれているが、決定的なのは吊橋のシーンである(1:28:35〜1:29:00)。あのシーンで猿たちは“共謀して”人間にだまし討ちを食らわせる。この映画はあのシーンを描いている点で決定的に重要である。

 映画に現れる類人猿の多くは人間よりも遥かに力が強い。一対一ならば人間は負ける。映画でも、だまし討ちの前に、ゴリラ対人間の一対一のシーンが描かれている(1:26:32〜1:26:50)。ゴリラは容易に馬に乗った騎兵隊の一員を打ち倒す。

 しかし現実では人間は猿たちには負けないだろう。なぜならば、人間は共謀して作戦を立て、猿たちを罠に陥れることができるからだ。そのことを示すかのように、一対一のシーンの後では、橋の上にいる人間たちと連繋を取っているヘリコプターからの銃撃で次々と猿が撃ち殺される。

 ならば、こう考えられるのではなかろうか──猿は人間と同様に共謀する能力を身につければ、人間を遥かに凌駕する可能性がある、と。そもそも一個体の身体能力は人間よりも遥かに高いのだ。類人猿たちは、木に登るように吊橋の上に登って移動することができるだけでなく、長距離に渡って雲梯をするようにして吊橋の下を移動することができる。そんな身体能力をもった存在に共謀の能力が備わったらどうなるか。

 では共謀する能力とは何だろうか? この点はさらなる分析が必要だが、少なくとも、言語を操ってコミュニケーションを取る能力と、目的意識をもって相手を騙す能力の二つは必要だ。いずれにせよ、あの吊橋のシーンは人間の能力がいとも簡単に凌駕されうるという哲学的な問題を見事に表現しているのである。