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映像の哲学 第16回

Labor

-『三人の名付親』-

 

 ジョン・フォードの作品を取り上げたら、こちらも語らずにはいられなくなった。『三人の名付親』(ジョン・フォード監督、アメリカ、1948年)は、私が一番好きなフォードの映画である。三人のならず者が砂漠地帯で追手を逃れるなか、出産中の女性に出会い、その子を受け取るという話である。

 出産中の女性の顔が強烈に印象に残る。調べてみたところ、この女優はミルドレッド・ナトウィック(Mildred Natwick)(1905-94年)と言い、どこかで顔を見たことがあると思ったら、ヒッチコックの『ハリーの災難』(アメリカ、1955年)でアイビー・グレイヴリーの役を演じていた。ナトウィックがジョン・フォードの映画で演じたのは端役だが、その印象に残る演技で人々に記憶されているというウィキペディアの一言には頷いた。

 『三人の名付親』は極めてキリスト教色の強い映画である。最後、ひとりになってしまったジョン・ウエイン演じるボブが、赤子を抱きしめながら聖書の言葉を信じて砂漠地帯をフラフラしながら歩くシーンを観た時には、これがアメリカ人の信仰に対するイメージなのかと、自分とのなんとも言えない距離を感じたものである。実際、聖書を知っている者たちには常識であろうパッセージが引用され、それと同じように映画の中でも事が進む。

 ナトウィックに戻ろう。なぜ彼女の顔がそんなに強烈に印象に残っているのか。彼女はすでに産気づいているのだが、砂漠の中に取り残された幌馬車の中でたったひとりである。それをならず者の三人が助ける。彼女は無事出産する。彼女は疲れ切った顔をしている(00:44:22)。映画の公開年と彼女の生年から容易にわかるように、このシーンを演じたとき、彼女は約43歳であった。おそらく当時としては相当な高齢出産という設定ではなかろうか。ナトウィック演じる母親はまさしく疲れ切った顔をしてそのまま息を引き取る。息を引き取る前のあの疲れ。演技であんなに疲れを表現できるものだろうか。しかも今回調べてはじめてわかったのだが、ナトウィック自身には出産の経験はなかったようである。

 出産後にこの母親が表現している疲れこそは、この映画が極めてキリスト教色の強い映画であることと切り離せない。私が念頭に置いているのは、もちろん、エデンの園を追い出されたときに、エバに神が伝えた「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む」というメッセージである(『創世記』3.16)。なぜ出産時に女性はあれほど苦しまねばならないのか、それについてなんとか納得しようと、人間が頭を捻って考え出した解釈である。このメッセージは、アダムに伝えられた「地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」(同3.17)と対をなしている。こちらは、なぜこんなにも苦しい労働を続けねばならないのか、それをなんとか納得しようとして人間がたどり着いた解釈である。

 驚くべきは、「労働」を意味する英語のlaborには、「出産」の意味もあるということである。a woman in laborと言えば、分娩中の女性のことだ。あまり単語から類推するのはよくないが、やはりこのアダムとエバへの対メッセージがあってこそ生まれた表現ではなかろうか。その意味で私は、各場面で現れる聖書の朗読よりも、むしろ、幌馬車での出産で疲れ切って、生命力を使い尽くしたあの母親の表情に、最もキリスト教的なものを感じる。

 ここまではこの映画が描き出している苦しさのようなものばかりを強調したが、三人が赤子の面倒を観るシーンは実に愉快である。当時は、皮膚を守るためであろうか、生まれたばかりの赤子に油を塗ることが推奨されていたらしい。油がないので、三人がその代わりにグリースを赤子に塗りつけるシーンがあるのだが、生まれたばかりの赤子のツルツルの肌に、ねっとりしたグルースをたっぷり塗りつけながら、ボブとピートとキッドの三人はゲラゲラ笑う(00:59:39)。赤子のかわいいおしりにグリースが塗りつけられているシーンは確かになんだかおかしい。今思い出しても笑ってしまう。