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映像の哲学 第18回

儀式と決定

-TVシリーズ『シャーロック・ホームズの冒険』第4話「美しき自転車乗り」-

 

 儀式を経て行われる決定とは不思議なものである。たとえば国会のような議会での決議のことを考えてみよう。審議と多数決のような然るべき手順を踏んだ後で、議長が「この法案は可決されました」と口にして、ガベルと呼ばれる木槌で机をガンガンと叩く。するとその瞬間から、それまでは存在していなかったルールに人は従わねばならなくなる。というか、決定されたルールに従わざるを得ないという意識が人々の中に芽生える。その決定に賛成か反対かにかかわらずだ。

 然るべき手順とは、つまるところ儀式である。国会のような政治の中心もまさしく儀式によって成り立っている。政治も宗教も意味する「まつりごと」という単語を知る日本語話者にとっては、ある意味ではこれは理解しやすいことかもしれない。とはいえ、なぜ儀式によって人の行為や存在を規定することができるようになるのだろうか。法学ならばここで正統性の概念を持ち出すだろうし、政治学ならば背景にある暴力の存在に言及するかもしれない。様々な説明がありうる。ただ、ここにある強制力には、そのような学問的な解釈では説明しきれない不可思議なところがあることは忘れずにいたほうがよいように思われる。

 この不可思議なところを興味深い仕方で映像化しているのが、今もなおシャーロック・ホームズの映像化としておそらくは世界で最も人気がある、ジェレミー・ブレット主演のTVシリーズ『シャーロック・ホームズの冒険』(英国グラナダTV製作、1984-94年)の第4話「美しき自転車乗り」である。

 この話のクライマックスでは、悪巧みをしている男がうら若き女性と無理矢理に結婚しようと試みるのだが、その際、なんとこの男は自ら牧師を雇い、誰も見ていない雑木林の中のボロボロの東屋のようなところで結婚式をあげようとするのだ(00:41:55)。ホームズとワトソンは結婚式の阻止のために駆けつけるが、二人が到着した時、既に結婚式という儀式は強行された後だった。牧師は言う。「式をあげちまったよ」。

 いったいこんな結婚式にどんな強制力があるというのか。いや、誰も見ていないボロボロの東屋で行われたのであろうとも、牧師が然るべき手順を踏んで男女二人に対して結婚の儀式を執り行ったのならば、二人は確かに結婚しているのである。そこには既に二人の意志を超えた強制力が働いている。したがって結婚に伴う相続等々の権利関係も発生している。女性の身を案じていたワトソンは、式が強行されてしまったことに落胆する。現代の視聴者はこれを見てどこか不可思議な感を抱くに違いない。こんな結婚式が認められるわけがないと思ってしまうからだ。しかし、そうではないのだ。然るべき手順を踏んだ結婚式が行われたのならば、この男はこの女性の夫であると堂々と名乗り出ることができるのである。

 このシーンは、結婚とは不釣り合いな雑木林のボロボロの東屋との対比によって、結婚がもつ高度な儀式性を描き出している。「あんな場所でも結婚は成立しうる」という儀式の不可思議さを見事に映像化している。

 とはいえ、もちろん、この話にはオチが付く。ホームズは既にこの牧師が資格を剥奪されていることを突き止めていた。したがって、結婚は成立していない。然るべき手順が踏まれていなかったのだから。ワトソンはホッとする。ここでおそらく視聴者は再び驚くことになる。ワトソンのホッとする気持ちがよくわからないわけである。そもそもこんな結婚式が成立しているはずがなかろうとしか思えないからだ。

 しかし、そうではないのだ。どんな場所、どんな状況であれ、然るべき手順が踏まれているならば儀式は決定を下してしまう。人間はこの恐るべき儀式の力を使って秩序をなんとか作り出してきたのである。