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映像の哲学 第20回

美味しそうな音

-『原発切抜帖』-

 

 土本典昭監督の『原発切抜帖』(1982年)という映画は実に変わった作品である。新聞の切り抜きの映像と小沢昭一氏のナレーション、そして、高橋悠治と水牛楽団の音楽だけで映像が展開していく。私の世代は小沢昭一氏の声には信じられないぐらい慣れ親しんでいるのだが、その声が、当時の録音技術ゆえのことなのだろうか、どこかモヤがかかったような録音で、45分間流れる。これがなんともいえない味をだしている。

 私がこの映画を知ったのは3・11の原発事故の後である。タイトルの通り、映画の主題は原発である。もしかしたら若い世代の人は驚くかもしれないが、以前は、興味ある新聞記事を切り抜いて、書籍状のスクラップブックなるものに貼り付けて保存しておくというのは当たり前のことであった。若松監督は1979年のスリーマイル島原発事故、1981年敦賀原発の放射性廃液流出事故をきっかけに、原発関連記事の切り抜きを集めるようになったのだという。その切り抜きだけでこんなにワクワクする映画を作ってしまうのだから、本当に驚くべきことだ。

 小沢氏による冒頭のナレーションを書き写してみよう。

「毎日、家々に配達される新聞。その一面から三面まで埋め尽くす有象無象の記事の群れは、私たちが生きてきた時代時代、いえ、日々の風速計のように思えます。この十年、洪水のような情報の中から一つ一つの出来事を切り抜いてきたのは、私にはなにものかへの証文を取ることでした」。

 このナレーションが終わろうとする瞬間、1982年9月1日『朝日新聞』のベタ記事「日本の原発 世界の一割 米仏に続く」が切り抜かれるシーンになる。

 映画のメッセージは明確であるから、それについては何も言わない。私がこの映画で注目したいのは音である。小沢昭一氏の声も印象的なのだが、それに勝るとも劣らぬ印象を残すのが、新聞紙をハサミで切り抜く音だ。冒頭にもそのシーンがあるが、最も印象的な音を残すのは、最後の切り抜きシーンである(00:44:26)。ここは特に音が強調されているように思われる。ちょうど、エンディングの音楽が始まるから、それに負けないように大きめの音になっているのかもしれない。ナレーションが入る場面では、ナレーションのジャマをしないように、ハサミの音はやや小さめになっている。

 新聞紙をハサミで切り抜く音が、なぜこんなにも強い印象を残すのだろうか。よくわからないが、私のこの音への最初の印象は、なぜか、「美味しそう」であった。なんともいえない、美味しそうな音なのである。シャク、シャクっと、このようにカタカナにしてみると少しは伝わるだろうか。

 新聞紙の上に印刷された文字、つまり、紙という物質の上に置かれて紙に染み込んでいるインクという物質は、まさしく「洪水のような情報」の担い手である。情報はそれ自体としては非物質的である。だが、この非物質は物質がなければ存在できない。そして、非物質の担い手である物質は、やはり物質としての特性を持っているのであって、たとえば新聞ならば、それは、切ればシャク、シャクっという音を出すという紙の特性なのである。

 「日本の原発 世界の一割 米仏に続く」のような恐るべき情報を伝える物質もまた、紙で切ればシャク、シャクっと音がする。この映画は、遠くから伝えられる情報なるものの非物質性と、ハサミで切ればシャク、シャクっと音がする紙の物質性との奇妙なつながりをテーマにしているように思われる。

 映画を見ていれば、人は非物質的な情報の方に目が行く。紙という物質よりも、非物質的なものの方に目が行く。思えば不思議なことだ。なぜ物質よりも、非物質に目が行くのだろうか。非物質性を支えているのは物質であり、物質がなければ非物質も存在しえないというのに。

 最後に一つだけ、どなたかに聞いてみたい疑問。この映画に現れる、ハサミで切るとシャク、シャクっとしたいい音を出す新聞紙は、おそらくもう存在しないと思われるのだがどうか。新聞紙は90年代はじめに紙質が変わったように思う。以前の新聞はもう少し紙が分厚かった。だから立てて読んでいてもヘタらなかったし、ハサミで切ればいい音がした。私は全新聞を手に取っていたわけではないし、この気付きは誰かに確かめたわけではない。もしご存知の方がいればご一報を。