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映像の哲学 第22回

Newtonとファクシミリ

-『暴走特急』-

 

 アクション映画やサスペンス映画にとって、連絡を巡る問題は、物語を魅力的にするために欠かせない要素である。主人公が危機を知らせようと奮闘している間、まさしくサスペンス状態が訪れる。連絡の遅延は悲劇を産む。思えばオイディプス王の悲劇は、もっと早く届くべきだったオイディプス自身についての連絡の遅延が生み出した悲劇である。

 連絡で重要なのは、自分が自分であることを伝達相手に信頼してもらうことである。手書きの手紙はおそらく筆跡によってかなりの程度の信頼を獲得することができる。手紙のような物体を相手に届ける場合には、紙の使い方や折り方など、信頼を得るための手段がたくさんある。紙の折り方の意味するところを決めておけば、内容を検閲されてもメッセージを伝えることができるだろうし(三つ折りなら危機、四つ折りなら安全など)、メッセージをそのようにして伝えているという事実自体から、伝達における信頼性の根拠になる。

 インターネットの情報網が高度に張り巡らされた21世紀の世界では、世界中どこにいても誰とでも連絡が取れることが前提だから、連絡を巡る困難はかつてとは異なる形で作り出さねばならない。ある一つの特別なメッセージをもったアイテムを巡って正義と悪が争い合うという話は作りにくくなった。

 面白いのは、狭間の時期である。インターネットの情報網が現れる直前にはファクシミリがあった。手紙に近いが、メッセージは電子的に送られる。ファクシミリを送ることさえできれば、受信側では筆跡は確認できるが、送信機も受信機もそれなりの大きさがあった。

 スティーヴン・セガール主演の映画『暴走特急』(ジェフ・マーフィー監督、アメリカ、1995年)にはとてもおもしろいシーンがある。この映画の公開の2年前にアップル社が発売したNewtonというiPhoneの原型のような機器(当時はPDAと言った)を使って、セガールが列車ハイジャックの事実を当局に連絡しようとする。手の平サイズの機器でファクシミリが送信できるのだからすごいことだ。しかし、Newtonの液晶画面のキーボードを使って入力した文面だけでは、送信者が本当にセガール演じるケイシー・ライバックであるかどうかを信じてもらうことはできないだろう。タイプ打ちした文章では自分が本当に自分であると相手に信じさせることができないからだ。さてどうするか。

 Newtonは、まさしくiPhoneやiPadと同様、タッチペンで液晶画面にサインを書くことができた。ライバックはファクシミリの文面の最後に、タッチペンでサインをする(00:40:58)。こうしてサインを付すことで、タイプ打ちされたファクシミリの文面が本当にライバックによって送信されたものであるとの信頼が担保されたというわけである。

 もちろん、液晶画面に書かれたサインは簡単に電子的にコピーすることが可能であるから、よく考えたら信頼性は高くない。ただ問題はそういうことではない。「なるほど、こうやってサインを付せば、タイプ打ちされた文章にも手紙のような信頼性を与えることができるな!」と、映画を観ている者に思ってもらえればいいのだ。

 このNewtonという機器を悪者たちが解析するシーンまで出てくるから、この映画はこの機器の宣伝のために随分と資金的な援助を受けていたのかもしれない。Newtonは商業的には成功せず、製品としては失敗作であったと言われている。とはいえ、最初から最後までB級感に満たされたこの映画の中で、Newtonを使ったシーンだけは今見てもなかなか興奮する。完全なアナログ通信網しかない時代でも、インターネット時代(あるいはスマホ時代)でもない、その狭間にほんの少しだけ存在していた時期だからこそ作り得たシーンである。