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映像の哲学 第24回

古代語を話す

−『ロキ』−

 

 日本で哲学を研究するとなると、語学に精通することがどうしても必要である。が、この点、私の意見はやや分裂している。

 一方で私は、哲学を学ぶならば絶対にいくつかの言語を身につけるべきであると固く信じている。研究論文は様々な言語で書かれているし、そもそも研究対象となる哲学者たちのほとんどは日本語以外の言語で執筆しているのである。

 哲学の基礎となるのは、なんといっても正確なテキスト読解である。それができなければ、哲学の研究はできない。いや、正確なテキスト読解ができないのならば、哲学研究をしていると名乗るべきではない。だとすれば、研究対象となる哲学者のテキストを、その哲学者が書いた言語で読めなければ話にならない。

 だが、他方、言語に精通していれば哲学が分かるというべきなのだろうか。全くそうは思えない。「哲学」を古代ギリシア語のピロソピアーの翻訳と見るならば、その意味するところは、「知ることが好きだ」という意味に他ならない。「あれを知りたい」、「これを分かりたい」という知的な衝動こそが哲学の根底にある。それがなくなったら、その人は哲学の中にいるとは言えない。

 また、哲学の定義というのはいくつもあるのだが、私が好むフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの有名な定義を引くならば、哲学とは概念を創造する営みである。これを少し単純化すれば、哲学は概念を扱うのである。概念を扱う技術を身につけることが、哲学を学ぶ上では欠かせない。これは言語を学ぶこととは別に身につけなければならないことだ。

 日本の哲学教育は語学偏重の傾向があったかもしれない。語学偏重は決して悪いことではない。海外の学会に行って、フランス語が全くできないのに「ドゥルーズの研究をしています」という人に出会って唖然としたことがあった。日本の研究者は自らの受けてきた語学偏重の教育を堂々と生かしていけばよいと思う。

 ただ、たとえば、いま名前を挙げたドゥルーズは、決して語学が得意な人ではなかった。学生時代、一緒に部屋を借りていたミシェル・トゥルニエに、自分が読みたい論文を翻訳してもらったことまであるという。もちろん、ドゥルーズの例は極端である。だが、例外として片付けてよいわけでもない。

 前置きが長くなったが、私もいくつかの言語を一生懸命に勉強してきた。その中で、どうしても必要なのに、いつまでたっても自分が求める水準に到達できない言語がある。それがラテン語である。ラテン語はヨーロッパで長きに渡って学問の言語として用いられてきた。私が専門的に取り組んでいるスピノザもラテン語で『エチカ』を書いた。だから私はどうしてもラテン語ができなければならない。しかしいつまでたっても、思うようにならない。

 自分の中でいいわけになってしまっているのは、初めてラテン語を教わったクラスで、先生が、「どんな言語もそれが話されている地域に行けばある程度はできるようになるが、ラテン語はもう話されていないわけだから、その習得にはどうしても限界がある」と仰ったことである。今でも古典語を学ぶ人がラテン語で話す場を設けることはあるようだが、それはまた別の話である。

 ラテン語を話している人はもういないのだから、この程度のラテン語力でも仕方がない……と思っていた私の前に、衝撃的な映像が現れた。映画『アベンジャーズ』シリーズに登場する悪役ロキを主人公にしたテレビドラマシリーズ『ロキ』(アメリカ、2021年。Disney+で配信)のワンシーンだ。

 このシリーズではロキがタイムトリップを繰り返す。そしてこの回、ロキはヴェスヴィオ火山の噴火直前、西暦79年のポンペイに現れる。ポンペイを描いた映像はほかにもいろいろあるのだろうが、興味深いのは、ロキを演じるトム・ヒドルストンがケンブリッジ大学で西洋古典学を学んだ俳優だということである。ラテン語が話されていたポンペイで、ロキは住民たちに向かって流暢にラテン語を話してみせる(エピソード2。00:28:52)。

 

Mihi nomen est Loki.

Praefectus Consilií ad témpus mutándem.

Atque adferro acerbum nuncium ad vos omnes.

Vos omnes morituri estis.

Iste mons ignes plastos per saecula in uos est evomiturus.

Scio haec esse vera quod ego de futuris adveni.

 

私の名前はロキ。

〔横にいるメビウスを指して〕(彼は)変化する時間のための委員会の長。

そして私はおまえたち全員にとって苦々しい知らせを持っている。

おまえたち全員はまもなく死ぬ。

この山が炎のようにあなた方に向かって延々と噴火する。

私はこのことが真であると知っている。なぜならば私は未来から来たからだ。

 

(ラテン語文はネットから見つけ出してきたもの。ただし、映像を見ながら確認はした。字幕は省略も多いので、いろいろなツールを使いながら自分で翻訳した。間違っていたらすみません)。

 

 何が衝撃であったか。私は日常生活の中でラテン語がすらすらと自然に話されている場面を初めて目にしたのである! あの独特の発音規則をもった言語が実際の日常生活の中で話されるとこんな音に聞こえる! こんな雰囲気なのである!

 特に、「おまえたち全員(Vos omnes)」のところは、ロキの意地悪な性格が表現されていて、意地悪な言い方で話されたラテン語というこれまた大変興味深い台詞であった。

 ロキのように古代ローマ時代にいけるならば、もう少しラテン語ができるようになるかもしれないというオチをつけてもよかったが、トム・ヒドルストンはこれだけ流暢にラテン語を話すことができているのだから、言い訳にはできないなと思ったという次第である。